【第2回】湾岸の地名・昔の姿・神社仏閣——月島・佃・勝どき・晴海の画像

【第2回】湾岸の地名・昔の姿・神社仏閣——月島・佃・勝どき・晴海

【第2回】湾岸の地名・昔の姿・神社仏閣 月島・佃・勝どき・晴海 | blueblooded

BLUEBLOODED COLUMN / 地名シリーズ 第2回

湾岸の地名・昔の姿・神社仏閣
江戸から現代へ、街の記憶

月島 勝どき 晴海

前回(第1回:芝浦・浜松町・浜離宮・三田)に続き、第2回は月島・佃・勝どき・晴海の4エリアを取り上げます。この4エリアは隅田川河口から広がった人工島群であり、一つの神社——佃の住吉神社——が埋め立てとともに氏子区域を広げてきた、独特の歴史を持ちます。

TSUKISHIMA / 月島

PAST / 明治24年〜昭和

人工島・工場・下町もんじゃ

1891年に浚渫土砂で築かれた人工島。工場・倉庫の島として整備されたが、路面電車(1923年)開通とともに下町として発展。90年代のもんじゃストリートはすでに存在したが、木造家屋・路地・銭湯が密集する純粋な下町だった。高層建物はほぼなく、空が広かった。

月島 TSUKISHIMA

NOW / 2020年代

駅近タワーと下町の共存

月島駅1分・53階のキャピタルゲートプレイスザタワー(2015年築)、再開発物件ミッドタワーグランド(2020年築)がランドマーク。2027年にGRAND CITY TOWER TSUKISHIMA(58階・1,285戸)完成予定。勝どきの次の注目エリアに。

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地名の由来

「築きたる島」→築島(つきしま)→月島に転訛したという説が有力。明治24年(1891年)造成の人工島。「築地」との混同を避けるため月島に改称したとも言われる。東京湾に突き出た地形が「月見」に最適な場所だったという説も並立している。

⛩ 神社仏閣

住吉神社(中央区佃1丁目)

1646年創建。月島・佃・勝どき・晴海一帯の総氏神。3年に一度の例大祭では関東では珍しい八角神輿が隅田川を渡る船渡御が壮観。江戸湊の守護神として廻船問屋・海運業者の信仰が篤く、境内の石造鳥居・水盤は江戸時代の廻船問屋が奉納したもの。

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TSUKUDA / 佃

PAST / 江戸初期(1645年)〜

漁師の島・佃煮の発祥地

大阪・佃村の漁師33人が徳川家康の命で江戸へ移住し、隅田川河口の干潟を拝領して「佃島」を築造(1645年完成)。将軍への白魚献上のかたわら生まれた保存食が佃煮の発祥。1990年代は大川端リバーシティ21が誕生したタワーマンション黎明期。

TSUKUDA

NOW / 2020年代

ヴィンテージと江戸の共存

センチュリーパークタワー(54階・1999年築)を筆頭に大川端リバーシティ21が日本の超高層住宅の先駆けとして健在。築30年超でも価格が上昇し続ける湾岸の「ヴィンテージ」エリア。佃1丁目の路地・老舗佃煮屋が江戸の面影を今に伝える。

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地名の由来

摂津国西成郡「佃村」(現・大阪市西淀川区)の漁師が移住し、故郷の名をそのまま島名にした。家康との縁の始まりは諸説あり、本能寺の変(1582年)で家康が逃げる際に佃の漁師が舟を出して助けたという説が有名。「佃煮」はこの島の漁師の保存食として生まれ、全国に広まった。

⛩ 神社仏閣

住吉神社(中央区佃1丁目)

1646年(正保3年)6月創建。大阪・田蓑神社からの分霊を奉遷。佃の漁師たちが故郷の神様を新しい島に迎えた。タワーマンション群に囲まれながら、境内は江戸時代の石造物が現存する400年近い聖域。住吉神社所有の八角神輿は関東では極めて珍しく、例大祭の見どころ。

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KACHIDOKI / 勝どき

PAST / 明治38年〜平成11年

工場・倉庫・築地のおまけ

大江戸線開通は2000年。1990年代は最寄り駅がなくバスか徒歩が頼り。工場・倉庫と木造家屋が密集し、勝鬨橋を渡れば築地市場が目の前という立地から「築地のおまけ」扱い。市場関係者・工場労働者の街で、現在の姿からは到底想像できない下町だった。

勝どき KACHIDOKI

NOW / 2020年代

湾岸最大の再開発進行中

パークタワー勝どきミッド(45階・1,121戸)+サウス(58階・1,665戸)+B棟(2025年着工・464戸)で計3,250戸の超弩級プロジェクト。築地市場跡地開発が次の転換点。勝鬨橋(国重文)は今も現役で歴史を伝える。

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地名の由来

1905年(明治38年)1月、日露戦争・旅順陥落を祝して地元有志が築地〜月島の渡し船を「勝鬨の渡し」と命名したことが起源。「勝鬨(かちどき)」とは戦いに勝った時に上げる歓声のこと。1940年に完成した勝鬨橋は「東洋一の可動橋」と呼ばれた跳開橋で今も国の重要文化財。「鬨」が常用漢字外のため地名は平仮名で「どき」。

HISTORY / 勝鬨橋について

1940年完成「東洋一の可動橋」

橋の中央が「ハ」の字に開いて大型船が通る跳開橋として設計。1970年を最後に跳開は停止されているが、制御塔・信号機も当時のまま残る。2007年に国の重要文化財に指定。夜間ライトアップされる橋の姿は、勝どき・晴海エリアのアイコンでもある。

⛩ 神社仏閣

住吉神社(佃)・勝鬨の渡し碑

住吉神社が埋め立てとともに氏子区域を拡大し勝どきも守護。勝鬨橋・築地側たもとに「勝鬨の渡し」の石碑が今も残り、1905年の渡し船開設の経緯を刻んでいる。日露戦争の勝鬨がこの街の名前になった歴史を、静かに証言し続けている。

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HARUMI / 晴海

PAST / 昭和15年命名〜

幻の万博・東京の秘境

1940年、幻の万博会場として整備された埋立地に「晴海」と命名。公共交通はバスのみ。90年代は巨大な埠頭・倉庫・工業施設が広がる「東京の秘境」。晴海埠頭から国際旅客船が出ていたが、市民が日常的に訪れる場所ではなかった。

晴海 HARUMI

NOW / 2020年代

五輪レガシーの街

晴海フラッグ(HARUMI FLAG・5,632戸)が東京五輪選手村を転用して誕生。ザ・パークハウス晴海タワーズ クロノ・ティアロ・パークタワー晴海が既存の格を持つ。BRTが主要交通。晴海駅(臨海地下鉄)が実現すれば街が本格化する。

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地名の由来

1940年(昭和15年)に「紀元二千六百年記念日本万国博覧会」の会場として整備しようとした埋立地に付けられた名前。「晴れ渡る海」を意味する。博覧会は第二次大戦の勃発で中止となったが地名だけが残り、戦後の港湾・工業地帯として利用された。幻の万博の記憶を今に伝えるのは、この地名だけである。

⛩ 神社仏閣

住吉神社(中央区佃1丁目)

月島・佃から勝どき・晴海まで、隅田川河口の埋め立てが進むにつれて住吉神社の氏子区域も拡大してきた。海の神・住吉三神への信仰が、埋め立てられた人工の島々をつなぐ精神的な軸になっている。1990年に28年ぶりに復活した船渡御は今も例大祭の最大の見どころ。

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COLUMN / 4エリアの守護神

住吉神社(佃)——埋め立てとともに広がった氏神

月島・佃・勝どき・晴海の4エリアは、一つの神社に守られています。佃1丁目の住吉神社(1646年創建)がそれです。

もともとは佃島だけの鎮守社でしたが、明治以降に月島・勝どき・晴海と埋め立てが続くにつれ、氏子区域も広がっていきました。海の神・住吉三神を祀るこの社が、人工の島々の産土神となっていった歴史は、湾岸エリアの発展の歴史そのものです。

3年に一度の例大祭では、隅田川を神輿が渡る船渡御が行われます。江戸湊の入口に位置し、海運業者・廻船問屋の信仰を集めた往時の姿を、今に伝えています。

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第3回(豊洲・有明)もあわせてご覧ください。

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