勝どきとは?地名の由来・意味・読み方|「勝鬨」から生まれた街の歴史の画像

勝どきとは?地名の由来・意味・読み方|「勝鬨」から生まれた街の歴史

地盤と、街のなりたち

勝どきとは?地名の由来・意味・読み方
——「勝鬨」から生まれた街と、月島・佃・晴海の歴史

「勝どき」とは、どんな意味の地名なのか。
なぜ「勝鬨」と書き、現在の「勝どき」という街の名前になったのか。

「勝どき」は「かちどき」と読みます。 もともとの「勝鬨」は、戦いに勝ったときに上げる鬨の声を表す言葉です。 現在の勝どきという地名は、日露戦争の時代につくられた 「勝鬨の渡し」に由来します。

現在はパークタワー勝どきをはじめ、大規模なタワーマンションが並ぶ街ですが、 その名前をたどると、明治期の埋立、築地との関係、勝鬨橋へと歴史がつながっていきます。

第1回(芝浦・浜松町・浜離宮・三田) に続き、第2回は月島・佃・勝どき・晴海の4エリア。 勝どきの意味・由来・読み方を中心に、湾岸の街がどのようにつくられてきたのかをたどります。

この4エリアは隅田川河口から広がった人工島群であり、 一つの神社——佃の住吉神社——が埋め立てとともに氏子区域を広げてきた、 独特の歴史を持ちます。

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TSUKISHIMA / 月島

PAST

人工島・工場・下町もんじゃ

1891年に浚渫土砂で築かれた人工島。 工場・倉庫の島として整備され、その後、交通網の整備とともに下町として発展。 もんじゃストリートで知られる現在とは異なり、 木造家屋・路地・銭湯などが残る下町の風景が広がっていました。

月島 TSUKISHIMA

NOW / 2020年代

駅近タワーと下町の共存

キャピタルゲートプレイス ザ・タワー、 ミッドタワーグランドなどのタワーマンションと、 もんじゃストリートを中心とする昔からの街並みが共存しています。 さらに月島三丁目北地区では大規模な再開発も進められています。

地名の由来

月島は明治期の埋立によって形成された街です。 地名の由来には複数の説があり、 「築島」が転じて月島になったという説や、 月見に適した場所であったことに由来するという説などがあります。 一つの説だけで断定せず、埋立の歴史とあわせて見るのがよいでしょう。

⛩ 神社仏閣

住吉神社(中央区佃1丁目)

江戸時代から佃に鎮座する住吉神社。 佃を起点に、埋立によって街が広がるにつれて、 月島・勝どき・晴海との関係も深くなっていきました。 東京湾岸の歴史を考えるうえで欠かせない神社です。

キャピタルゲートプレイス ザ・タワーについて一点補足します。 月島駅徒歩1分という立地は湾岸屈指ですが、 周囲の建物との位置関係によって、眺望の抜け方は住戸ごとにかなり違います。 棟ごとの干渉については こちらの記事 にまとめています。

現地でご案内している立場から、月島の交通について一点だけ補足します。 月島駅は有楽町線・大江戸線の二路線が使えますが、 私は「二路線だから湾岸で圧倒的に便利」とまでは見ていません。

大江戸線は勝どきにもあります。 有楽町線も便利ですが、 月島の強さは路線数だけではなく、 銀座・有楽町・東京駅方面まで含めた都心との距離そのもの にあると思っています。

またキャピタルゲートプレイス ザ・タワーの駅直結は大きな魅力ですが、 便利さとプライベート感は分けて見ています。

月島の空室・売出しを確認する

キャピタルゲートプレイス・ミッドタワーグランドなど

TSUKUDA / 佃

PAST

漁師の島・佃煮の発祥地

大阪・佃村の漁師たちが江戸へ移り住み、 隅田川河口の島に形成された佃島。 漁業と江戸の水運に深く関わり、 佃煮の発祥地としても知られています。

TSUKUDA

NOW / 2020年代

ヴィンテージタワーと江戸の街並み

センチュリーパークタワーをはじめとする 大川端リバーシティ21の高層住宅群と、 佃1丁目周辺に残る路地や老舗が共存しています。

地名の由来

摂津国の佃村から移り住んだ漁師たちが、 故郷の名を新しい土地に残したことが 「佃」の地名につながったとされています。 江戸と大阪を結ぶ歴史が、そのまま街の名前になりました。

⛩ 神社仏閣

住吉神社(中央区佃1丁目)

大阪から移り住んだ佃の人々と深い関係を持つ住吉神社。 タワーマンション群のすぐ近くに、 江戸から続く街の記憶が残っています。

KACHIDOKI / 勝どき

MEANING / 読み方・意味

「勝どき」は、どう読む? どんな意味?

勝どきの読み方は「かちどき」です。

もともとの言葉は「勝鬨」。 戦いに勝ったときに上げる鬨の声、 つまり勝利を祝う声を意味します。

現在の「勝どき」という地名は、 この「勝鬨」という言葉から生まれました。 では、なぜ東京湾岸のこの場所に「勝鬨」という名前が付いたのでしょうか。

PAST

工場・倉庫・築地に近い街

大江戸線の勝どき駅が開業したのは2000年。 それ以前は現在ほど鉄道利便性の高い街ではなく、 工場・倉庫や昔からの住宅が混在していました。 勝鬨橋を渡れば築地という立地も、 街の性格を形づくっていました。

勝どき KACHIDOKI

NOW / 2020年代

大規模タワーマンションが集まる街へ

パークタワー勝どき、 勝どきザ・タワー、 THE TOKYO TOWERSなど、 大規模タワーマンションが集積。 築地・晴海・月島との位置関係も含め、 東京湾岸を代表する住宅エリアの一つになりました。

勝どきの地名の由来

1905年(明治38年)、 日露戦争の旅順陥落を祝う時代背景の中で、 築地と月島方面を結ぶ渡しが 「勝鬨の渡し」と呼ばれるようになりました。

その後、この「勝鬨」という名称が地域の名前として定着し、 現在の「勝どき」という地名につながっていきます。

つまり勝どきという名前をたどると、 日露戦争 → 勝鬨の渡し → 勝鬨橋 → 現在の勝どき という一本の歴史が見えてきます。

HISTORY / 勝鬨橋

1940年完成の跳開橋

勝鬨橋は、大型船を通すため中央部が開く跳開橋として建設されました。 現在は橋が開くことはありませんが、 勝どきと築地を結ぶ重要な交通路として今も使われています。 国の重要文化財にも指定され、 街の名前の歴史を現在へ伝える存在です。

⛩ 街の記憶

住吉神社と「勝鬨の渡し」

佃を中心とする住吉神社と、 築地側に残る「勝鬨の渡し」の記憶。 現在のタワーマンションだけを見ていると気づきにくい、 勝どきが形成されてきた歴史が今も街の中に残っています。

現在の勝どきをマンションとして見ると、 パークタワー勝どきは駅直結という大きな利便性があります。 一方で、眺望は棟・向き・階数によって大きく違います。 周囲にはTHE TOKYO TOWERS、勝どきザ・タワー、 晴海側にはドゥ・トゥールなどの高層建築があり、 「湾岸だからどの住戸でも眺望が抜ける」というわけではありません。

マンションごとの違いは 湾岸タワーマンション徹底比較【後編】 にまとめています。

勝どき駅の混雑についても、少し見方があります。 確かに朝夕は人が多いのですが、 駅を使うのは勝どきの住民だけではありません。 晴海方面へ向かう通勤者なども含め、人の流れがあります。

そのため、 「勝どき駅が混んでいる=勝どき居住者の通勤がすべて厳しい」 と単純には考えていません。 実際の時間帯と人の流れまで見た方が、街の姿を理解しやすくなります。

また勝どきは、新しいタワーマンションの近くに 昔からの住宅が残る場所もあります。 災害を考えるときも、 液状化だけではなく、 建物・周辺街区・火災・道路幅・避難経路 まで分けて見ています。

歴史の次は、土地そのものを見る。

勝どき・月島・晴海は、同じ湾岸でも 埋立の時期、液状化、水害、高潮、火災リスクの見え方が異なります。 代表的なタワーマンションと町丁目まで分けて調べました。

勝どき・月島・晴海の地盤・液状化は大丈夫? →

地盤まで見たら、次は「どこに住むか」。

勝どき・月島・晴海を、 駅距離・マンション・賃貸・中古・家賃・価格・眺望・再開発まで 実際の案内から比較しています。

勝どき・月島・晴海、どこに住む? →
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パークタワー勝どき・勝どきザ・タワーなど

HARUMI / 晴海

PAST

港湾・展示施設の街

晴海は埋立によって形成された街です。 港湾・展示施設などが集まり、 長く住宅地とは異なる性格を持っていました。 その後、大規模マンション開発や東京2020大会の選手村整備を経て、 街の姿は大きく変化しました。

晴海 HARUMI

NOW / 2020年代

HARUMI FLAGとタワーマンションの街

HARUMI FLAG、 ザ・パークハウス晴海タワーズ、 パークタワー晴海、 ドゥ・トゥールなど、 特徴の異なる大規模マンションが集まります。 交通についてもBRTや臨海部地下鉄計画など、 街の変化が続いています。

地名の由来

「晴海」は、埋立によって形成された土地に付けられた地名です。 現在の街並みだけを見ると新しい住宅地ですが、 港湾・展示・東京2020大会の選手村など、 時代ごとに役割を変えてきた場所でもあります。

晴海については、「駅から遠い」と一括りにしない方がいいと思っています。 ドゥ・トゥールなど勝どき駅に比較的近い街区と、 晴海の奥側では毎日の移動感覚が違います。

一方、HARUMI FLAGまで行くと、 駅近というより 広さ・静けさ・計画された街そのもの を選ぶ感覚が強くなります。

家族構成、車、ペット、必要な広さまで条件が増えるほど、 晴海の評価は変わってきます。

COLUMN / 4エリアの歴史

住吉神社(佃)——湾岸の街をつなぐ存在

月島・佃・勝どき・晴海を歴史から見ると、 佃1丁目の住吉神社は重要な存在です。

佃から始まり、周辺の埋立と市街地形成が進むにつれて、 街同士のつながりも広がっていきました。 現在の行政区画やマンションだけでは見えにくい、 湾岸の歴史を感じられる場所です。

地名シリーズ第3回は、 有明とは?豊洲・有明の地名の由来 へ続きます。

あわせてお読みください

第1回|芝浦の地名の由来と30年前の姿
第3回|有明とは?豊洲・有明の地名の由来
勝どき・月島・晴海の地盤・液状化は大丈夫?|洪水・高潮・火災とタワーマンションを比較
勝どき・月島・晴海はどこに住む?|マンション・賃貸・中古・家賃・価格・眺望・再開発を比較
湾岸タワーマンション徹底比較【後編】勝どき・晴海・豊洲・有明
眺望が抜けない部屋の見分け方
湾岸の地盤は本当に弱いのか|埋立地と液状化を検証
駐車場サイズ・ペット条件 棟別一覧
そのまま決める前に|不動産セカンドオピニオン

ここから先は、その一件について。

勝どき・月島・晴海で気になっているマンションがあれば、 物件名をお送りください。
街、地盤、建物、眺望、周辺環境まで、 その一件として見ます。

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