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東京湾岸の地名の由来|芝浦・浜松町・晴海・豊洲・有明はなぜこの名前?

地盤と、街のなりたち

TOKYO BAY AREA / PLACE NAMES & HISTORY

東京湾岸の地名の由来|芝浦・浜松町・晴海・豊洲・有明はなぜこの名前?

芝浦の地名の由来と、30年前の姿
——浜松町・浜離宮・三田の歴史と神社仏閣から、晴海・豊洲・有明へ

東京湾岸には、少し不思議な地名が並んでいます。

芝浦。浜松町。晴海。豊洲。有明。

「芝浦」は、なぜ芝浦なのか。浜松町は静岡県の浜松と関係があるのか。 「晴海」は誰が、どんな思いで名付けたのか。 「豊洲」は昔からあった地名なのか。 そして「有明」とは、そもそもどういう意味なのか。

湾岸エリアのマンションを案内していると「このあたり、昔は何があったんですか」とよく聞かれます。 地名の由来、30年前の街の姿、そして今も残る神社仏閣。 街を知ることは、物件を知ることだと考えています。

この記事の中心は、もともと第1回として書いた芝浦・浜松町・浜離宮・三田の4エリアです。 その内容は削らずに残し、その先に続く晴海・豊洲・有明まで、東京湾岸の地名を一本の線としてたどります。

地名をたどると、海だった東京の輪郭が見えてくる。

芝浦も、晴海も、豊洲も、有明も、現在の街だけを見ていると分からない歴史があります。 地名から埋立の時代をたどり、現在の街、地盤、そして都市の変化へ。 点ではなく、線で見ていきます。

この記事で分かること

・芝浦という地名はいつからあるのか
・浜松町の名前と「浜松」の関係
・浜離宮が「浜御殿」から「離宮」になった歴史
・三田という古い地名に残る複数の説
・晴海、豊洲、有明という埋立地の名前はどう生まれたのか
・地名の歴史と、埋立・地盤をどう分けて考えるか

SHIBAURA / 芝浦

PAST

漁場・工場・ディスコ

将軍への魚の献上地として知られた芝浦は、大正から昭和にかけて工場や倉庫が集まる港湾・工業地へと変化しました。バブル期にはジュリアナ東京などが注目を集め、「ウォーターフロント」と呼ばれる芝浦のイメージが広がりました。90年代には工場・倉庫と新しい商業施設が混在し、現在の住宅地へ移り変わる途中にありました。

芝浦SHIBAURA

NOW / 2020年代

住宅地として大きく変わった芝浦

芝浦アイランド4棟・ブランズタワー芝浦・キャピタルマークタワー・プラウドタワー芝浦が現在の顔。高輪ゲートウェイ周辺を含め、芝浦・港南・高輪側では街の更新が続いています。工場・倉庫の街から住宅地へ変わってきた芝浦を、現在の建物だけでなく街の成り立ちから見ることが大切です。

地名の由来

「芝の浦」が転じた名。室町時代1486年の文献『廻国雑記』に「芝ノ浦」として既出。芝草が生い茂る海岸を意味し、中世から江戸湾の重要な港だった。将軍への魚の献上地として「芝海老」「芝肴」の産地として名を馳せた。

一次資料で確認すると

港区は、文明18年(1486)の『廻国雑記』に「芝の浦」が記されたのが最初とし、 現在の芝浦の大部分は江戸時代には海で、明治末期から昭和初期の港湾整備に伴う埋立で形成されたと説明しています。

出典:港区「地名の歴史(芝浦港南地区)」

⛩ 神社仏閣

御田八幡神社(港区三田3丁目)

創建709年(和銅2年)。芝浦・三田・港南の総氏神。江戸八所八幡宮の一社として徳川幕府から崇敬を受けた。石段を上ると港区とは思えない深い森が広がる。年2回(1月・5月15日)の「釜鳴神事」は全国的にも珍しい特殊神事で今も続く。

なお芝浦の地盤について補足すると、現在の芝浦の大部分は、明治末期から昭和初期にかけての港湾整備・埋立で形成された土地です。「埋立地は地盤が弱い」と一括りにされがちですが、地盤と建物の安全性は分けて見る必要があります。東日本大震災でも、湾岸の高層マンションについては建物構造と周辺地盤を分けて検証することが重要です。詳しくはこちらの記事に書いています。

HAMAMATSUCHO / 浜松町

PAST

増上寺門前・東海道沿いの町

遠江国(現在の静岡県浜松市周辺)出身の名主がこの地の名主役を務めたことが町名の由来とされています。江戸時代の浜松町周辺は、東海道沿いに位置し、増上寺の門前町や周辺の町地として発展しました。90年代は世界貿易センタービルを中心とした業務地の印象が強い街でした。

浜松町HAMAMATSUCHO

NOW / 2020年代

再開発で急変中

ワールドタワーレジデンス(2024年築・46階・389戸)が世貿ビル跡地に誕生。浜松町駅直結2分。世界貿易センタービル建替えを含む大規模な都市更新が続くエリアです。完成後の姿だけを想像するのではなく、現在どこまで街が変わり、生活動線がどう変化しているのかを確認したい場所です。

地名の由来

遠江国(現・静岡県)浜松出身の名主が元禄期にこの地の名主役を務めたことに由来するとされています。個人の出身地が町名に残った珍しい例です。浜松町は東海道沿いに位置し、増上寺門前や周辺の町地とともに発展しましたが、宿場として成立した町ではありません。

⛩ 神社仏閣

増上寺・芝大神宮・芝東照宮

増上寺(1393年創建)は徳川家の菩提寺。6将軍が眠る。芝大神宮は「関東のお伊勢様」1005年創建。伊勢神宮の祭神を祀り江戸市民の参拝が絶えなかった。芝東照宮(1617年創建)には家康が自ら命じた等身大の木像がご神体として祀られる。東京タワーと大殿が重なる風景は和と近代の象徴。

HAMARIKYU / 浜離宮

PAST

将軍の鴨場・潮干狩り

1654年、4代将軍家綱の弟・甲府宰相の別邸「甲府浜屋敷」として始まる。6代将軍家宣が「浜御殿」に整備し、鷹狩り・鴨猟・潮干狩りの御庭に。今も残る「鴨場」はその遺構。明治維新後は皇室離宮「浜離宮」に。

浜離宮HAMARIKYU

NOW / 2020年代

400年続く庭園

1945年に東京都へ下賜され都立庭園として一般公開。ワールドタワーレジデンスの窓から見える庭園の緑は、江戸時代から400年続く景色。ウォーターズ竹芝と一体で再開発が進む。

地名の由来

「浜御殿」として徳川将軍家が代々利用した御庭が、明治維新後に皇室の「離宮」となり「浜離宮」と改称。1945年に東京都に下賜。地名というより施設名だが、このエリアのアイデンティティを最もよく表す名前として今も用いられる。

浜離宮の歴史

東京都公園協会によれば、承応3年(1654)に松平綱重が海を埋め立てて甲府浜屋敷を築いたことに始まり、 のちに将軍家の別邸「浜御殿」となりました。明治維新後は皇室の離宮となり、 1945年に東京都へ下賜、1946年から浜離宮恩賜庭園として公開されています。

出典:東京都公園協会「浜離宮恩賜庭園」

MITA / 三田

PAST

大名屋敷・学生街

鎌倉時代から文献に登場する港区最古級の地名。江戸時代は大名・旗本屋敷が広がる武家地。明治以降は慶應義塾が移転し学問の街に。90年代は慶應生の居酒屋・古書店・雀荘が並ぶ典型的な学生街。旧国鉄田町電車区が田町の原風景だった。

三田MITA

NOW / 2020年代

慶應×大企業の街

msb田町(田町ステーションタワー)が2013年廃止の旧田町電車区跡に誕生。慶應義塾・大使館・外資企業が共存するインターナショナルなエリア。グローバルフロントタワーが芝浦側のランドマーク。

地名の由来

由来は今も諸説あり確定していない。「水田(みた)」が転訛したという説、武蔵国の豪族「三田氏」に由来するという説などが並立。少なくとも鎌倉時代には「三田」の地名が文献に登場しており、港区の地名の中でも最も古い部類に入る。謎が多いのも、古い地名ならでは。

⛩ 神社仏閣

御田八幡神社(芝浦と共通)/済海寺

済海寺(さいかいじ)は、幕末にフランスの外交拠点が置かれた寺です。港区の資料では、初代駐日フランス総領事ギュスターヴ・デュシェーヌ・ド・ベルクールが1859年8月に済海寺へ入り、その後フランス公使館として使用されました。境内には日仏交流の歴史を伝える碑が残ります。

HARUMI / 晴海

晴海の由来|「いつも晴れた海を望む」という願い

晴海という名前は、古くから自然に残ってきた地名ではありません。 現在の中央区の説明では、昭和12年(1937)7月に晴海町一丁目から六丁目ができ、 当時の京橋区議会で「いつも晴れた海を望む」という希望から町名が決められたとされています。

いまのHARUMI FLAGや晴海のタワーマンション群を見ていると、 最初から住宅地だったようにも感じます。 でも、名前そのものが、この土地が海とともに造成され、新しい街として形づくられた時代を伝えています。

月島、勝どき、晴海は隣り合っていますが、地名の生まれ方はそれぞれ違います。 月島は観月の名所にちなみ、勝どきは勝鬨橋へつながる歴史を持ち、 晴海には新しく造成された街への願いが込められました。

出典:中央区「月島地区・町名の由来」

晴海の詳しい歴史、勝どき・月島との地名のつながりは、別記事でさらに掘り下げています。

勝どきの名前は日露戦争から|月島・佃・晴海の地名の由来を詳しく読む →

TOYOSU / 豊洲

豊洲の地名の由来|「やばい」と検索される理由まで一次資料で見る

「豊洲 地名 由来 やばい」と検索されることがあります。 強い言葉ですが、地名そのものに不穏な意味があるわけではありません。

江東区によれば、豊洲は昭和12年(1937)7月に埋立地へ町名が設定された際、 将来の発展を願い「豊かな洲」となるよう命名されたと言われています。

つまり「豊洲」という名前は、古代から残る地名というより、 新しく生まれた土地の未来を願って付けられた名前です。

埋立地であること、工業・港湾利用の歴史があること、現在は大規模な住宅地になっていること。 それぞれは分けて見た方がいい。 地名の由来だけから土地の安全性や不動産価値を判断することはできません。

出典:江東区「江東区の地名由来」

豊洲の地名、埋立の歴史、有明まで含めた詳しい話は第3回にまとめています。

豊洲・有明の地名の由来を詳しく読む →

ARIAKE / 有明

有明とは?|地名の意味・由来・語源をたどる

「有明とは?」「有明 意味」「有明 語源」「有明 名前の由来」。 有明は、街を探している方だけでなく、言葉そのものを調べる方が多い地名です。

江東区は「有明」について、 夜明けに残る月のようすを表す言葉で、すがすがしさを感じさせる名称と説明しています。 現在の有明は、10号埋立地の一部に昭和36・37年ごろ「深川有明町」が置かれ、 昭和43年(1968)の住居表示実施によって現在の町名となりました。

豊洲が「豊かな洲」という将来への願いを込めた名前なら、 有明は夜が明けるときの空と月を思わせる名前です。 隣り合う埋立地でも、地名に込められたイメージはかなり違います。

現在は有明アリーナ、有明ガーデン、東京ビッグサイト、タワーマンション群などで知られますが、 地名そのものは施設名より前からあります。 「有明アリーナ」という名称も、この地域名を冠したものです。

有明・豊洲の地名と歴史をさらに詳しく読む →

FROM NAME TO LAND / 地名から土地を見る

芝浦・晴海・豊洲・有明。地名の次に、埋立と地盤を見る

ここまで地名を追うと、東京湾岸では何度も「埋立」という言葉が出てきます。

だからといって、 「埋立地だから危ない」で話を終わらせることはしません。

いつ埋め立てられたのか。 どのような土地利用を経てきたのか。 液状化や水害の想定はどうなっているのか。 そしてマンションなら、土地だけでなく建物の構造や防災計画はどうか。

地名は入口です。 そこから土地を見て、建物を見る。 一つの住所を、どこまで見るか。そこも私たちの仕事です。

TOKYO WATERFRONT / 東京湾岸を線で見る

浜松町だけでも、晴海だけでもない。東京湾岸を線で見る

芝浦の歴史を調べると、田町・高輪・港南へつながります。 浜松町を歩けば、竹芝・汐留・浜離宮へつながる。 さらに東へ進めば、築地、勝どき、晴海、豊洲、東雲、有明があります。

これらが一つの再開発事業や一本の鉄道路線でつながっている、という意味ではありません。

ただ、東京の南側から湾岸にかけて、 それぞれの場所で鉄道、駅、住宅、オフィス、港湾、商業施設の更新が続いています。 物件を一棟だけ見るより、 街と街の関係まで見た方が、その場所の現在地は分かりやすい。

品川・高輪 → 田町・芝浦 → 浜松町 → 築地 → 勝どき・晴海 → 豊洲 → 東雲・有明

今後はこの広がりも、個別の再開発を混同せず、一次資料を確認しながら追っていきます。 街を点ではなく線で見る。 地名の歴史を調べることも、その入口の一つです。

EPILOGUE

地名には、街の記憶が刻まれています。芝浦は中世からの漁場。浜松町は静岡出身の名主の故郷。浜離宮は将軍が鴨を撃ちに来た庭。三田は鎌倉時代から続く謎の名前。

物件を選ぶとき、その名前の由来を知っていると、住むことへの愛着がひと味変わってきます。

第2回では月島・佃・勝どき・晴海、第3回では豊洲・有明をさらに詳しく掘り下げています。このページを入口に、気になる街へ進んでください。

あわせてお読みください

第2回|勝どきの名前は日露戦争から(月島・佃・晴海)
第3回|豊洲・有明の地名の由来(湾岸9エリア総括)
湾岸タワーマンション徹底比較【前編】芝浦・浜松町・月島
徹底比較【後編】勝どき・晴海・豊洲・有明
湾岸の地盤は本当に弱いのか(3.11で倒壊ゼロだった理由)
武蔵野台地はどこからどこまでか(地盤と埋没谷)
眺望が抜けない部屋の見分け方(棟別の干渉)
契約前に、もう一度確認しておきたいこと

物件を比べるように、不動産会社まで比べてください。

地名の由来まで調べる必要が、すべての取引にあるわけではありません。
ただ、一つの住所、一つの建物をどこまで見るのか。
不動産会社を選ぶときは、こういう仕事まで見てください。

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