新橋から内幸町へ歩く|THE BLOSSOM HIBIYAでの打ち合わせから見えた、鉄道とオフィス街の東京の画像

新橋から内幸町へ歩く|THE BLOSSOM HIBIYAでの打ち合わせから見えた、鉄道とオフィス街の東京

ご相談と、進め方

SHIMBASHI / UCHISAIWAICHO

今日は、新橋・内幸町でお客様と打ち合わせでした。

場所は、 THE BLOSSOM HIBIYA。

名前は「HIBIYA」ですが、 住所は港区新橋1丁目です。

内幸町、日比谷もすぐそば。

打ち合わせの前後に少し歩いてみると、 このあたりは面白い。

新橋駅前には飲食店や雑居ビルが並び、 少し西へ歩けば内幸町のオフィス街。

さらにその先には、 日比谷公園と霞が関があります。

同じ駅から歩ける距離なのに、
街の表情がかなり違う。

なぜ、新橋と内幸町は これほど違う街になったのでしょうか。

新橋・内幸町を歩いて見た街並み
新橋・内幸町でのお客様との打ち合わせへ。仕事で訪れる街も、少し歩くと違った表情が見えてきます。

THE BLOSSOM HIBIYA。
でも、住所は「新橋」

今回の打ち合わせ場所だった THE BLOSSOM HIBIYAは、 東京都港区新橋1丁目にあります。

ホテルの名前だけを見ると、 日比谷にあるように感じます。

しかし実際に歩いてみると、 それほど不思議ではありません。

新橋。

内幸町。

日比谷。

この三つの街は、 行政上の住所とは別に、 歩いている人にとってはほとんど連続しています。

新橋駅
↓
THE BLOSSOM HIBIYA
↓
内幸町
↓
日比谷公園
↓
霞が関

ところが、 街の成り立ちを調べてみると、 それぞれ少し違います。

新橋は、鉄道から大きく変わった街

新橋という名前を聞いて、 まず思い浮かべるものは何でしょうか。

SL広場。

サラリーマン。

居酒屋。

オフィス街。

現在の新橋には、 そうしたイメージがあります。

しかし街の歴史を遡ると、 やはり大きな出来事があります。

1872年。
日本最初の鉄道です。

新橋―横浜間に、 日本で最初の鉄道が開業しました。

ただし、 当時の「新橋停車場」は 現在のJR新橋駅の場所ではありません。

現在の汐留側にありました。

その後、1909年に 現在の新橋駅付近に烏森駅が開業。

1914年に東京駅が開業すると、 それまでの新橋駅は汐留駅となり、 烏森駅が「新橋駅」の名前を引き継ぎました。

1872年
新橋―横浜間に日本最初の鉄道
↓
旧新橋停車場
現在の汐留側
↓
1909年
烏森駅開業
↓
1914年
烏森駅 → 現在の新橋駅へ

つまり現在の新橋駅は、 日本最初の新橋駅そのものではありません。

街の名前と駅の名前が、 東京の発展とともに移動してきたのです。

新橋から内幸町方面の街並み
新橋から内幸町へ。ほんの数分歩くだけで、駅前とは違うオフィス街の表情が現れます。

では、内幸町はどんな街だったのか

新橋から西へ歩くと、 街の雰囲気が変わっていきます。

内幸町。

現在は大きなオフィスビルが並ぶ街ですが、 江戸時代にはこの周辺に 大名屋敷が置かれていました。

そして明治になると、 この一帯には東京府庁や鹿鳴館など、 近代国家を象徴する施設が置かれていきます。

新橋が、 鉄道と商業によって発展していった街だとすれば、

内幸町は、 政治・行政・企業活動に近い場所として発展してきた街 と見ることができます。

だから現在でも、 新橋駅から数分歩くだけで 街の表情が変わるのでしょう。

新橋は、鉄道と商業。
内幸町は、行政とオフィス。

近いけれど、街の成り立ちは少し違う。

「内幸町」という名前は、どこから来たのか

内幸町という名前も、 現在の街からは少し想像しにくい名前です。

由来をたどると、 江戸城の幸橋御門に行き着きます。

幸橋御門の「内側」にあったことから、 内幸町。

現在では高層ビルが並ぶ場所ですが、 町名には江戸城下町だった時代の位置関係が そのまま残っています。

東京を歩いていると、 現在の建物だけを見ていては分からない街の姿が、 町名の中に残っていることがあります。

ONE STREET, DIFFERENT TOKYO

歩いていると、
東京の境界が見えてくる

面白いのは、 新橋と内幸町の間に 大きな距離があるわけではないことです。

歩いて数分。

それでも、 建物の大きさ、 道路の幅、 店舗の種類、 歩いている人、 街の密度が変わっていきます。

さらに西へ進めば、 日比谷公園。

その先は霞が関です。

一つの駅から歩くだけで、
商業・企業・行政という違う東京が連続している。

そして内幸町は、これからもう一度変わる

歴史のある内幸町ですが、 現在、この街は再び大きく変わろうとしています。

内幸町一丁目では、 大規模な街区開発が進められています。

特徴的なのは、 単に高層ビルを建てるだけではないことです。

日比谷公園。

内幸町駅。

新橋駅。

そして周辺の街。

これらを歩行者ネットワークで つなげていく構想が進んでいます。

霞が関
↓
日比谷公園
↓
内幸町
↓
新橋
↓
汐留

現在でも近い場所です。

しかし、 「近い」と「歩きやすくつながっている」は違います。

街と街の間を歩きやすくすることは、 新しいビルを一棟建てることとは違う形で、 都市の使われ方を変えていきます。

新橋・内幸町のオフィス街
現在の新橋・内幸町。歴史の違う街が隣り合い、さらに次の再開発が進んでいます。

新橋から始まった鉄道を、南へたどってみる

今回、新橋を歩いていて もう一つ面白いと思ったことがあります。

1872年。

日本最初の鉄道は、 新橋から横浜へ向かって走り始めました。

その線路を現在の東京で南へたどると、

新橋
↓
浜松町
↓
田町
↓
高輪ゲートウェイ
↓
品川

現在、 この東京南部の鉄道沿線が 再び大きく変わっています。

高輪ゲートウェイ。

広域品川圏。

リニア中央新幹線。

そして品川からは、 新しい特急列車 「ルナ・アズール」 も走り始める予定です。

150年以上前、 新橋から始まった東京の鉄道。

今度はその少し南にある品川が、 新しい鉄道の起点になろうとしています。

お客様との打ち合わせで来た街を、少しだけ歩く

今回は、 街を調べるために新橋へ来たわけではありません。

お客様との打ち合わせです。

THE BLOSSOM HIBIYAで打ち合わせをして、 その前後に街を少し歩いただけです。

でも、 不動産の仕事をしていると、 こういう時間が意外と面白い。

駅を降りる。

目的地まで歩く。

一本、道を曲がる。

すると、 建物や人の流れが変わります。

その違いを調べてみると、 鉄道や道路、 江戸時代の町割り、 再開発につながっていく。

物件を見る前に、
その街を少し歩いてみる。

それだけでも、 不動産情報の数字だけでは分からないものが 見えてくることがあります。

そして新橋は、田町から二駅

弊社のある田町から新橋までは、 JRで二駅です。

田町。

浜松町。

新橋。

普段なら、 あっという間に通り過ぎる距離です。

しかし、 それぞれの駅で降りて歩いてみると、 街の歴史も役割も違います。

新橋を知ることは、 田町や芝浦を違う角度から見ることにもつながります。

TAMACHI

田町という街を、もう少し詳しく。

駅、住宅、マンション、歴史、地形。
田町を一つの街としてまとめています。

田町の不動産・マンション完全ガイドを見る

blue blooded

不動産は、物件から始めない。

新橋で打ち合わせをする。
内幸町を歩く。
街の歴史を少し調べてみる。

そこから、 鉄道や再開発、 そして現在の街の姿が見えてくることがあります。

先に、お話を。

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