
田町駅の壁画に、なぜ勝海舟と西郷隆盛がいるのか?|江戸城無血開城と芝浦の海岸線をたどる
田町駅の壁画に、なぜ勝海舟と西郷隆盛がいるのか?
今日は田町で物件のご案内。
内見のために田町駅を利用した際、 三田口(西口)の改札を出たところにある、 大きな壁画が目に入りました。
描かれているのは、勝海舟と西郷隆盛。
作品の名前は「西郷南洲・勝海舟会見の図」。
田町駅を何度も利用しているのに、 あらためて考えると不思議です。
なぜ、この二人が田町駅にいるのでしょうか。
無血開城を決めた会談の舞台は、田町だった
時代は1868年、慶応4年。
新政府軍による江戸城総攻撃が迫るなか、 幕府側の勝海舟と新政府側の西郷隆盛が会談を行いました。
一般的には、3月13日に高輪の薩摩藩邸、 翌14日に現在の芝五丁目にあった薩摩藩蔵屋敷で 会談したと考えられています。
この交渉を経て江戸城への総攻撃は中止され、 江戸の市街地は大規模な戦火を免れました。
その歴史的な会談の場所が、 現在の田町駅から歩いてすぐのところにあります。
現在の芝五丁目には 「江戸開城 西郷南洲・勝海舟会見之地」の 記念碑も設けられています。 ただし、工事に伴う一時移設の情報があるため、 訪れる際には現在の設置場所を確認する必要があります。
当時の田町駅周辺は、海だった
さらに興味深いのは、薩摩藩蔵屋敷の立地です。
現在の田町駅周辺には、 鉄道やオフィスビル、マンションが並んでいます。
しかし江戸時代、この一帯の東側には 海が広がっていました。
薩摩藩蔵屋敷は海岸沿いに位置し、 船で運ばれてきた米などを陸揚げする場所でもありました。
現在の芝浦は、その後の埋立てによって 大きく姿を変えた街です。
私たちが普段歩いている道の下にも、 かつての海岸線や土地の成り立ちが隠れています。
この地域の変化については、 芝浦の街と土地の成り立ち でも詳しく紹介しています。
また、東京全体の海岸線の変化については、 東京湾岸の街と不動産 もあわせてご覧ください。
駅の中に残された歴史
田町駅の壁画は、1975年に完成した作品です。
ベルギー出身の芸術家ルイ・フランセンが 原画・監修を担当し、 陶板レリーフと色鮮やかなガラスモザイクで、 二人の会見を表現しています。
慌ただしく通り過ぎる駅の中で、 約160年前の出来事が、 こうして今も残されています。
街を知ることも、不動産の仕事
不動産をご案内していると、 建物や間取りだけではわからない 街の魅力に出会うことがあります。
田町、芝、三田、芝浦。
隣り合う街でも、 江戸時代からの成り立ちはそれぞれ異なります。
駅前の風景も、 少し歴史を知るだけで違って見えてきます。
今日の内見では、 物件だけでなく、 田町という街の奥行きをあらためて感じました。
次に田町駅の三田口を利用する際は、 ぜひ壁画にも目を向けてみてください。
街を知ることから、住まい選びを。
田町・芝浦・三田での賃貸、購入、売却。
物件のことも、街のことも。
まずは、お客様のお話をお聞かせください。