
東横線・目黒線はなぜここまで直通運転する?|南北線・三田線・相鉄線、田町・日吉を結ぶ鉄道網の歴史
東京・神奈川の鉄道と街の歴史
東急東横線、東急目黒線、東京メトロ南北線、 都営三田線、東京メトロ副都心線、相鉄線。
東京や神奈川で電車に乗っていると、 いつの間にか別の鉄道会社の路線に 入っていることがあります。
日吉から三田へ。 新横浜から大手町へ。 横浜方面から渋谷を越えて埼玉方面へ。
一昔前なら何度も乗り換えていたような移動が、 現在では一本の電車でできる場合があります。
便利になったものです。
しかし、私は以前から少し不思議に思っていました。
なぜここまで電車をつなげるのだろう。
鉄道会社には、それぞれの経営事情があります。
車両も違えば、信号設備も違う。 ダイヤも運賃も、会社ごとに決めなければなりません。
それなのに、東京の南西部から神奈川、 さらに埼玉方面まで、 巨大な相互直通運転のネットワークができています。
しかも、その中心の一つである日吉には、 慶應義塾大学の日吉キャンパスがあります。
私たちのサロンがある田町・芝浦の近くには、 慶應義塾大学の三田キャンパスがあります。
この二つのキャンパスは、 都営三田線と東急目黒線の直通運転で 結ばれています。
福沢諭吉が三田に学校を移してから150年以上。
今回は、東急東横線・目黒線を中心に、 なぜここまで相互直通運転が広がったのか、 その歴史と仕組み、 そして田町・三田・日吉・横浜の街との関係を たどってみたいと思います。
01|そもそも相互直通運転とは何なのか
相互直通運転とは、 異なる鉄道会社の路線を、 列車が乗り換えなしで走る仕組みです。
例えば、東急目黒線の電車が 目黒駅から東京メトロ南北線に入り、 そのまま都心を走る。
あるいは、都営三田線の電車が 目黒駅から東急目黒線に入り、 日吉や新横浜方面へ向かう。
こうした運行が相互直通運転です。
利用者にとっては、 乗り換えの手間が減ることが 最大のメリットでしょう。
しかし、鉄道会社側から見ると、 話はそれほど単純ではありません。
車両の大きさや長さ、 ホームの設備、 保安装置、 運転士の運用、 ダイヤの調整。
さらに、異なる会社の線路を走る以上、 運賃収入や運行上の責任についても 調整が必要です。
一社だけで完結する鉄道とは、 調整の規模が大きく異なります。
それでも各社が協力するのは、 乗り換えを減らすことで、 鉄道全体の利便性や利用価値を 高められるからです。
02|東急東横線と東急目黒線は、似ているようで違う
東急東横線と東急目黒線。
どちらも東急電鉄の路線で、 日吉駅を通ります。
しかし、都心側でつながる路線は 大きく異なります。
横浜・日吉から渋谷、さらに副都心線へ
↓
自由が丘・中目黒
↓
渋谷
↓
東京メトロ副都心線
↓
池袋・和光市方面
東横線は、渋谷と横浜を結ぶ路線です。
横浜から先は、みなとみらい線に 直通する列車があります。
渋谷から先は東京メトロ副都心線に入り、 東武東上線や西武線方面へと つながる列車もあります。
東横線の特徴は、 横浜・川崎市内から渋谷・池袋方面への 広域アクセスにあります。
日吉から目黒、南北線・三田線へ
↓
武蔵小杉・大岡山
↓
目黒
↓
南北線 → 麻布十番・永田町方面
または
都営三田線 → 三田・大手町方面
目黒線は、日吉と目黒を結ぶ路線です。
目黒駅から先は、 東京メトロ南北線と都営三田線に 直通する列車があります。
さらに日吉から新横浜方面へ向かう 東急新横浜線を経由し、 相鉄線へ直通する列車もあります。
こちらは、日吉・武蔵小杉方面から 都心の業務地区へ向かう交通軸として 重要な役割を持っています。
つまり、東横線と目黒線は、 同じ東急の路線でありながら、 都心への入り方が異なるのです。
日吉から渋谷へ向かうなら東横線。
日吉から三田や大手町へ向かうなら、 目黒線と都営三田線の直通運転が便利です。
この二つのルートがあること自体、 東急沿線の大きな特徴といえるでしょう。
03|東急はなぜ目黒線を整備したのか
東急目黒線の整備を考えるうえで、 重要なのが東横線の混雑です。
東横線は、東京と横浜を結ぶ 主要な通勤路線として発展してきました。
しかし、沿線人口が増えるにつれ、 朝の通勤時間帯には 多くの利用者が集中するようになりました。
そこで東急は、 東横線の輸送力を増強するとともに、 都心へ向かう経路を分散させる 大規模な鉄道改良を進めました。
その一つが、 目蒲線の再編と目黒線の整備です。
従来の目蒲線を再編し、 目黒線を都心の地下鉄と接続させることで、 東横線だけに集中していた利用者に 別の経路を提供することができます。
目黒線と南北線・三田線の直通運転は、 2000年に始まりました。
その後、目黒線の整備が進み、 2008年には日吉まで延伸されました。
これにより、日吉から都営三田線や 東京メトロ南北線方面への 直通利用が可能になりました。
つまり、現在の便利なネットワークは、 一度に完成したわけではありません。
長年にわたる混雑対策と、 路線改良の積み重ねによって 形成されてきたのです。
東急の鉄道史については、 公式サイトにも詳しい資料があります。
なお、2000年9月26日に始まったのは 目黒線と南北線・三田線の相互直通運転です。 日吉までの延伸は2008年6月22日で、 両者は区別して考える必要があります。
04|南北線と三田線は、なぜ目黒でつながるのか
東京メトロ南北線と都営三田線は、 別々の地下鉄です。
運営会社も異なります。
しかし、両路線は目黒駅から 白金高輪駅までの区間で 線路を共用しています。
そして、目黒駅から先では 東急目黒線へ直通運転を行っています。
ここが、この鉄道ネットワークの 面白いところです。
南北線は、麻布十番、六本木一丁目、 溜池山王、永田町、飯田橋、 王子方面へ向かいます。
一方、都営三田線は、 三田、日比谷、大手町、 神保町、巣鴨、高島平方面へ向かいます。
つまり、目黒から先で 都心の異なる地域へ 列車が分かれていくわけです。
① 東京メトロ南北線
目黒 → 白金高輪 → 麻布十番 → 永田町 → 飯田橋方面
② 都営三田線
目黒 → 白金高輪 → 三田 → 日比谷 → 大手町方面
利用者にとっては、 目的地に応じて経路を選べる 便利な仕組みです。
一方、鉄道会社にとっては、 複数の路線が共通区間を利用するため、 ダイヤの調整や運行管理が 重要になります。
なお、東京メトロ南北線は 三田駅には乗り入れていません。
三田駅を通るのは都営三田線です。
05|日吉駅は、なぜ重要な駅になったのか
日吉駅は、神奈川県横浜市港北区にあります。
慶應義塾大学の日吉キャンパスがある駅として 知られています。
しかし、現在の日吉は、 単なる大学の最寄り駅ではありません。
東急東横線、 東急目黒線、 東急新横浜線、 横浜市営地下鉄グリーンラインが 集まる交通の結節点です。
特に重要なのが、 目黒線と新横浜線の接続です。
日吉から目黒方面へ向かえば、 南北線・三田線へ。
日吉から新横浜方面へ向かえば、 相鉄線へとつながります。
また、東横線を利用すれば、 渋谷や横浜方面へ移動できます。
これだけ異なる方向への路線が 集まっていることが、 日吉駅の特徴です。
そして、駅のすぐ近くには 慶應義塾大学の日吉キャンパスがあります。
福沢諭吉が三田に学校を移した時代には、 当然ながら現在のような鉄道網は 存在しませんでした。
その慶應義塾が、 後に日吉にもキャンパスを構え、 現在では三田と日吉が 直通電車で結ばれています。
私は、こうした歴史の重なりに 面白さを感じます。
06|2023年、相鉄・東急新横浜線で何が変わったのか
2023年3月18日、 東急新横浜線(日吉~新横浜)と、 相鉄新横浜線の新横浜~羽沢横浜国大間が開業しました。 相鉄新横浜線の西谷~羽沢横浜国大間は、 2019年に先行開業していました。
これによって、相鉄線と東急線が 新横浜駅を経由して 直接つながるようになりました。
鉄道各社の公式発表では、 この開業によって 7社局14路線にまたがる 広域鉄道ネットワークが形成されたと 説明されています。
対象となるのは、 相鉄、東急、東京メトロ、 東京都交通局、埼玉高速鉄道、 東武鉄道、西武鉄道です。
ただし、ここには注意が必要です。
7社局14路線という数字は、 接続によって形成される 広域ネットワークを示すものです。
すべての会社のすべての路線を、 同じ列車が走るわけではありません。
例えば、相鉄線から東急目黒線を経由して 都営三田線や南北線へ向かう系統があります。
一方、相鉄線から東急東横線を経由して 副都心線方面へ向かう系統もあります。
列車によって経由する路線や 行先が異なります。
それでも、神奈川県内から 東京都心へ向かう経路が増えたことは 大きな変化でした。
また、新横浜駅へのアクセスが改善され、 東海道新幹線への乗り換えも 便利になりました。
07|新横浜から大手町へ、乗り換えなしで行ける時代
相鉄・東急新横浜線の開業によって、 新横浜から都心へのアクセスは 大きく変わりました。
例えば、新横浜から 東急目黒線・都営三田線を経由し、 大手町方面へ向かう直通列車があります。
相鉄線の海老名方面から 都心へ向かう経路も増えました。
鉄道各社は開業時、 海老名から大手町まで最速70分、 新横浜から浦和美園まで最速84分などの 所要時間を公表しています。
これは開業時に公表された 特定の列車条件での最速所要時間であり、 すべての列車に当てはまるものではありません。
しかし、神奈川県央から東京都心、 さらに埼玉方面まで 直通できるということ自体が、 大きな変化だったと思います。
新横浜は新幹線の駅でもあります。
東急線や相鉄線から 新横浜へ行きやすくなれば、 関西や中京方面への出張、 旅行などにも影響します。
鉄道の直通運転は、 単に乗り換えが減るだけでなく、 街と街の距離感そのものを 変えていくのです。
08|東横線は渋谷を越えて、埼玉までつながった
東横線の歴史で、 もう一つ大きな転機となったのが 2013年3月です。
この年、東横線と 東京メトロ副都心線の 相互直通運転が始まりました。
それまで東横線の渋谷駅は、 地上にある終着駅でした。
現在の東横線渋谷駅は地下にあり、 副都心線とつながっています。
これによって、横浜方面から 新宿三丁目や池袋方面へ 乗り換えなしで行ける列車が生まれました。
さらに副都心線の先では、 東武東上線や西武線へと 直通する列車があります。
2004年には、 東横線とみなとみらい線の 相互直通運転も始まっていました。
つまり、東横線は 横浜の先にも、渋谷の先にも 路線を広げてきたのです。
かつて渋谷と横浜を結んでいた鉄道が、 現在では首都圏を横断する 広域ネットワークの一部になっています。
09|直通運転が増えると、なぜ街の価値も変わるのか
ここからは、不動産会社としての 視点も加えてみたいと思います。
鉄道の直通運転が増えると、 街の利便性は変わります。
例えば、乗り換えが必要だった駅へ 一本で行けるようになる。
新しい通勤先や通学先が、 現実的な選択肢に入ってくる。
あるいは、新幹線の駅や空港方面への アクセスが改善される。
こうした変化は、 住む場所を選ぶ際の判断材料になります。
ただし、直通運転が始まれば 必ず不動産価格が上がる、 というわけではありません。
駅からの距離、 街の商業施設、 住宅供給、 周辺の再開発、 金利や経済環境など、 不動産価格には多くの要因があります。
また、直通運転には 別の側面もあります。
遠くの路線で発生した遅延が、 自分の利用する路線にも 影響する場合があることです。
便利さが増す一方で、 運行の仕組みは複雑になります。
住まいを選ぶ際には、 直通運転の有無だけでなく、 実際の所要時間や混雑、 代替ルートも確認したいところです。
10|田園都市線は、なぜ別の地下鉄につながっているのか
同じ東急電鉄でも、 田園都市線は目黒線や東横線とは 異なる地下鉄につながっています。
田園都市線は、 渋谷駅から東京メトロ半蔵門線へ 直通運転を行っています。
半蔵門線は、 表参道、青山一丁目、 永田町、半蔵門、 大手町、押上方面へと続きます。
さらに押上から先は、 東武線方面へ直通する列車もあります。
つまり東急電鉄は、 東横線、目黒線、田園都市線という 複数の路線から、 それぞれ異なる地下鉄を経由して 都心へアクセスするネットワークを 形成しているのです。
青葉台やたまプラーザ、 二子玉川方面から都心へ向かう田園都市線。
日吉や武蔵小杉から 三田・大手町方面へ向かう目黒線。
横浜や中目黒から 渋谷・池袋方面へ向かう東横線。
同じ東急沿線でも、 利用する路線によって 生活圏が異なってくることが分かります。
田園都市線沿線については、 こちらの記事でも紹介しています。
11|田町・三田は、JRと地下鉄を使い分けられる街
私たちのサロンがある田町・芝浦に 話を戻しましょう。
田町駅には、 JR山手線と京浜東北線が通っています。
一方、徒歩で乗り換えられる三田駅には、 都営浅草線と都営三田線があります。
この四つの路線が、 田町・三田の交通利便性を 支えています。
東京・品川・横浜方面へ
山手線は、東京、品川、 渋谷、新宿、池袋、上野など、 都心の主要駅を結びます。
京浜東北線は、 東京から川崎・横浜・大船方面へと 続いています。
田町駅では、 目的地に応じて両路線を 使い分けることができます。
現在は東京を一周する山手線ですが、 最初から環状運転をしていたわけではありません。
1885年の品川~赤羽間開業から、 1925年の環状運転開始まで。 貨物輸送と東京の都市形成を通じて、 山手線が現在の姿になった歴史を紹介しています。
新橋・日本橋・浅草、空港方面へ
都営浅草線は、 三田、新橋、東銀座、 日本橋、浅草、押上方面へと 続く地下鉄です。
京急線や京成線などとの 相互直通運転によって、 羽田空港や成田空港方面へ 直通する列車もあります。
ただし、列車によって 行先や直通区間は異なります。
日吉・新横浜方面と大手町方面へ
都営三田線は、 三田から日比谷、大手町、 神保町、巣鴨、高島平方面へ 向かう地下鉄です。
反対方向では、 目黒から東急目黒線に入り、 日吉や新横浜方面へ 直通する列車があります。
慶應義塾大学の三田キャンパスと 日吉キャンパスを結ぶ 重要な経路でもあります。
なお、東京メトロ南北線は 三田駅には乗り入れていません。
ただし、都営三田線と同様に 東急目黒線へ直通するため、 田町・三田周辺の交通を考えるうえでも 関係の深い路線です。
田町駅と三田駅は別の駅ですが、 徒歩で乗り換えられる位置にあります。
初めて訪れる方には、 JRの田町駅と地下鉄の三田駅が 別々の名称であることが 少し分かりにくいかもしれません。
田町・三田の街については、 こちらの記事で詳しく紹介しています。
12|福沢諭吉が三田を選んだ時代、鉄道はなかった
この歴史的な背景は、第一弾「福沢諭吉はなぜ三田を選んだ?」で詳しく紹介しています。
福沢諭吉はなぜ三田を選んだ?|慶應義塾大学の歴史と田町、三田会と鉄道の意外なつながり
ここで、慶應義塾の歴史に戻ります。
福沢諭吉が慶應義塾を 三田へ移転したのは1871年です。
日本で最初の鉄道である 新橋・横浜間の鉄道が 開業するのは翌1872年。
つまり、福沢が三田を選んだ時点では、 現在のような鉄道による 交通利便性はありませんでした。
福沢は、三田の高台にあった 旧島原藩邸へ学校を移しました。
その理由には、 それまでの校舎が手狭になったことや、 土地の環境などが関係しています。
当時の三田の高台からは、 現在とは違う東京湾の景色を 望むことができました。
そして田町駅が開業したのは1909年。
福沢諭吉が亡くなった1901年よりも 後のことです。
福沢は、現在の田町駅を 利用したことがありません。
それから時代が進み、 三田と日吉には慶應義塾の キャンパスが置かれ、 現在では直通電車で 結ばれるようになりました。
鉄道の歴史と大学の歴史が、 150年以上の時間をかけて 重なっているのです。
福沢諭吉が咸臨丸でアメリカへ渡った1860年、 幕府の遣米使節として小栗忠順も 別の船でアメリカへ渡りました。
幕末の日本をどう変えるか。 福沢諭吉が学問と教育から新しい時代を考えた一方、 小栗忠順は幕府の立場から近代化を進めようとしました。
2027年のNHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』と、 江戸城無血開城をめぐる歴史について、 こちらの記事で紹介しています。
13|三田会の人脈が、鉄道をつなげたのだろうか
慶應義塾には、卒業後も続く三田会という同窓会組織があります。 卒業年度や地域、勤務先などを通じて、人と人がつながっています。
そこで、ふと思うのです。 鉄道会社の垣根を越える複雑な直通運転にも、 こうした人的なつながりが多少は関係しているのだろうか、と。
もちろん、これは私の想像です。 鉄道各社の公式資料で説明されているのは、混雑緩和や利便性向上などであり、 慶應義塾の卒業生人脈が鉄道計画を後押ししたという証拠は確認できていません。
人と人をつなぐ三田会。街と街をつなぐ鉄道。 福沢諭吉の三田と、後に発展した日吉が一本の電車で結ばれる今、 二つを重ねて考えるのも面白いものです。
14|直通運転は便利だが、必ずしも万能ではない
ここまで相互直通運転の便利さを 紹介してきました。
しかし、便利なことばかりではありません。
異なる鉄道会社の路線が 長い距離でつながると、 一つの路線で発生した遅延が、 ほかの路線にも波及する場合があります。
例えば、都心側で列車の遅れが発生すると、 直通先の郊外路線にも 影響が及ぶ可能性があります。
また、直通列車の行先が多くなると、 利用者には少し分かりにくくなります。
同じホームに、 異なる終着駅へ向かう列車が 次々と入ってくるからです。
目的地まで乗り換えなしで行けるかどうかは、 列車の行先や運行時間帯によって 異なります。
そのため、実際に利用する際には 時刻表や乗換案内を 確認することが大切です。
それでも、鉄道会社同士が 協力することによって 移動の選択肢が増えるという点は、 大きな魅力だと思います。
15|鉄道が変われば、住む街の選び方も変わる
不動産の仕事をしていると、 駅までの距離や通勤時間を 重視するお客様は少なくありません。
しかし、同じ駅徒歩5分でも、 利用できる路線や 直通運転の有無によって、 生活の便利さは変わります。
例えば、日吉や武蔵小杉では、 東横線と目黒線を 使い分けることができます。
新横浜では、 新幹線に加えて 相鉄・東急新横浜線を利用できます。
田町・三田では、 JR山手線・京浜東北線と、 都営浅草線・三田線を 使い分けることができます。
こうした交通の選択肢は、 住む街を選ぶ際の 大切な判断材料になります。
ただし、路線が多ければ 必ず住みやすいというわけでもありません。
混雑や駅構内の移動、 通勤時間帯のダイヤ、 駅から自宅までの道のりなど、 実際の暮らしに関係する条件も 確認する必要があります。
不動産は、 路線図だけで選べるものではありません。
街を歩き、 通勤経路を確かめ、 暮らしを想像する。
そうした積み重ねが、 納得できる住まい選びに つながるのだと思います。
16|田町・芝浦から見る、東京と神奈川の鉄道
私たちのサロンは、 JR田町駅の芝浦口側にあります。
芝浦は、運河とマンション、 オフィスビルが並ぶ 東京湾岸の街です。
一方、田町駅の三田口側には、 慶應義塾大学の三田キャンパスがあり、 坂道のある街並みが広がっています。
三田と芝浦は、 同じ田町駅を利用する街でありながら、 地形も歴史も異なります。
そこに鉄道という視点を加えると、 街の見え方がさらに変わります。
田町駅から山手線で品川へ。
京浜東北線で川崎・横浜へ。
三田駅から浅草線で日本橋方面へ。
三田線で日吉・新横浜方面へ。
そして東急線を経由すれば、 神奈川や埼玉のさまざまな街へ 移動することができます。
かつて福沢諭吉が選んだ三田の高台。
その周囲には、150年以上を経て、 これほど広い鉄道ネットワークが 形成されました。
街の歴史を知り、 鉄道の歴史を知る。
その両方を重ねると、 普段利用している駅や電車にも、 少し違った面白さが見えてきます。
BLUE BLOODED|田町・芝浦サロン
物件より先に、お話を。
私たちは、田町・芝浦を拠点に、 港区・中央区・品川区・江東区、 横浜・川崎をはじめ、 東京・神奈川の不動産を扱っています。
通勤経路、街の歴史、土地の特徴、 そして将来の暮らし。
物件だけでなく、 お客様のご希望や事情を 丁寧にお聞きすることを大切にしています。
賃貸・購入・売却・住み替えなど、 気になることがあれば、そこから。
田町・芝浦サロンを見る関連記事|鉄道・街・土地の歴史
参考資料・公式リンク
※本記事の路線・直通運転に関する説明は、 鉄道各社の公式公開資料を基にしています。 運行区間や行先は列車・時間帯・ダイヤ改正によって 異なる場合があります。
※「7社局14路線」は、 2023年の相鉄・東急新横浜線開業に際して 鉄道各社が公表した広域ネットワークの表現です。 全路線を同一列車が直通するという意味ではありません。
※慶應義塾の卒業生ネットワークが 鉄道会社の直通運転計画に影響したという点は、 確認された事実ではなく筆者の着想です。