
小川駅の大通りには、なぜ人がいない?|ブリヂストン・BS中央通り・鎌倉街道と小平の歴史
先日、お客様との待ち合わせで、西武線の小川駅へ行ってきました。
小川駅は東京都小平市にある駅です。西武国分寺線と拝島線が交差し、国分寺、東村山、小平、東大和方面へつながっています。
駅を降りて歩いていると、立派な街路樹と広い道路が目に入りました。
歩道も整備され、周辺の建物もきれいです。
ところが、不思議なことに、ほとんど人が歩いていません。
駅からの道もよく整備されています。決して不便な場所ではありません。
こんなに立派な道路なのに、なぜ誰も歩いていないのだろう。
そんなことを考えながら歩いていると、ブリヂストンの施設が見えてきました。
せっかくなので、少し立ち寄ってみることにしました。
1.ブリヂストンのギャラリーへ
訪れたのは、ブリヂストンの研究開発拠点「Bridgestone Innovation Park」にある、Bridgestone Innovation Galleryです。
ブリヂストンといえばタイヤメーカー。
しかし、ギャラリーの展示を見ていると、単にタイヤを製造している会社という印象ではなくなります。
企業の創業から現在までの歩み、タイヤ技術の進歩、モータースポーツ、そして未来のモビリティ。
私たちが日常的に利用している自動車や交通を、技術の側から見ることができます。
実際に中を見学しましたが、なかなか面白い施設でした。
特に興味深かったのは、世界的な企業の研究開発拠点が、東京の都心ではなく小平市にあるということです。
なぜ、この場所なのでしょうか。
2.「BS中央通り」という名前の大通り
ギャラリーの向かいには、大きな道路があります。
道路標識には、こう書かれていました。
「BS中央通り」
BSとは、もちろんブリヂストンのことです。
企業の名前が、そのまま道路の愛称になっている。
これは、なかなか珍しい光景ではないでしょうか。
道路は広く、歩道も整備されています。街路樹も立派です。
企業の施設が並び、周辺には緑も多い。
ところが、私が歩いたときには、ほとんど人影がありませんでした。
車は通りますが、歩行者はまばらです。
都心であれば、これだけの道路があれば沿道に店舗が並び、人が行き交う姿を想像します。
しかし、ここには違う街の姿がありました。
工場や研究施設を中心として整備された街区では、商業地のように不特定多数の人が行き来するとは限りません。
働く人はいても、施設の中にいる。
道路は立派でも、歩行者が多いとは限らない。
不動産の仕事でさまざまな街を歩いていますが、改めて考えさせられる光景でした。
3.ブリヂストンは、なぜ小平に巨大な拠点を築いたのか
ブリヂストンは1931年、福岡県久留米市で創業しました。
創業者は石橋正二郎です。
日本の自動車産業が発展し、モータリゼーションが進む中で、同社は新たな生産拠点を必要としました。
そして1960年、小平に東京工場を設立します。
1962年には技術センターが完成しました。
当時としては大規模な研究開発施設で、約350人の研究スタッフが働いていたといいます。
興味深いのは、創業者の石橋正二郎自身が、東京工場の基本的な配置構想を考えていたことです。
ブリヂストンの社史によれば、工場と研究所が協力しながら製品を開発できるよう、敷地内道路の北側に工場、南側に技術センターを配置したとされています。
つまり、道路を挟んだ施設の配置そのものに、企業の経営思想が表れているのです。
さらに、従業員やその家族が安心して暮らせる環境を整えるため、周辺には福利厚生施設も設けられました。
工場を造るだけではない。
働く人の生活まで考えた、一つの街づくりだったわけです。
現在は研究開発や新しい技術の創出を担う「Bridgestone Innovation Park」として、その役割を発展させています。
私が歩いた広い道路や緑豊かな街並みにも、こうした歴史が関係しているのかもしれません。
4.驚いたことに、ここには鎌倉街道が通っていた
今回、街の歴史を調べていて、さらに驚いたことがあります。
小川駅周辺、現在のブリヂストンの敷地付近には、かつて鎌倉街道が通っていたのです。
小平市史には、鎌倉街道上道が現在のブリヂストン東京工場の敷地付近から、津田塾大学の東側へ向かっていたことが記されています。
鎌倉街道上道とは、鎌倉と武蔵国、さらに上野国方面を結んだ中世の重要な交通路です。
現在の町田、府中、国分寺、小平、東村山、所沢などを通り、北関東へ向かっていました。
鎌倉幕府が成立すると、関東各地の武士たちは鎌倉へ向かう必要がありました。
軍勢を動かす道であり、商人や旅人が行き交う道でもありました。
現在の小平市域にも、その道筋が残されているのです。
そして、さらに興味深いのが、現在の道路との関係です。
古道を歩く人たちの記録を見ると、鎌倉街道上道の推定経路はブリヂストンの事業所付近で途切れています。
そのため、街道の道筋を追って歩く場合には、BS中央通りなどへ迂回することになります。
中世の重要な街道が通っていた場所に、昭和の巨大工場が建設された。
そして、今では企業名を冠した道路が、その周辺を通っています。
何とも不思議な歴史の重なり方です。
ただし、ここは正確に理解しておきたいところです。
現在の工場敷地付近を鎌倉街道が通っていたことと、ブリヂストンが意図的に街道を付け替えたことは、同じではありません。
街道の道筋は時代によって変化しており、工場建設以前にどの程度道路として残っていたかも含め、詳しい検証が必要です。
それでも、中世の道が近代の大規模事業所によって分断された形になっているという事実は、十分に興味深いものです。
5.源頼朝から新田義貞へ。鎌倉街道上道の歴史
鎌倉街道といえば、源頼朝の時代を思い浮かべます。
鎌倉幕府が成立すると、関東各地の御家人は鎌倉へ集まりました。
「いざ鎌倉」という言葉に象徴されるように、武士たちにとって交通路の確保は重要でした。
鎌倉街道上道は、鎌倉から武蔵国を経て北関東へ向かう道でした。
ただし、その起源は鎌倉時代だけに限りません。
小平市史では、古代の東山道武蔵路の経路がおおむね踏襲されていた可能性も紹介されています。
つまり、この地域は鎌倉幕府が成立する以前から、交通上重要な場所だった可能性があるのです。
そして1333年。
鎌倉幕府を滅ぼすため、新田義貞が挙兵しました。
義貞は武蔵国を南下し、分倍河原などで幕府軍と戦い、鎌倉へ進みます。
その進軍に関係したのが、鎌倉街道上道です。
頼朝の時代には、武士たちが幕府へ向かうための道。
約150年後には、幕府を倒す軍勢が進む道となりました。
道路そのものは変わらなくても、そこを通る人々の目的は時代によって変わります。
現在の小川駅周辺を歩きながら、そんな歴史に思いを巡らせるのも面白いものです。
鎌倉街道と武将たちの歴史については、別の記事でも詳しく取り上げています。
6.小川駅は、昔も今も交通の要衝だった
ここで、現在の交通に目を向けてみます。
小川駅には、西武国分寺線と西武拝島線が乗り入れています。
国分寺方面、東村山方面、拝島方面を結ぶ鉄道の結節点です。
道路では、近くに府中街道が通っています。
府中街道は、府中方面から国分寺、小平、東村山方面へ向かう南北方向の幹線道路です。
さらに南側には青梅街道があり、地域の東西方向の移動を支えています。
甲州街道は小川駅の近くを直接通るわけではありませんが、府中方面を経由すれば、甲州街道や中央自動車道方面へもつながります。
中世には鎌倉街道。
近世には青梅街道などの道路。
近代には鉄道。
そして現在は、複数の鉄道路線と幹線道路が交差しています。
ただし、ここで冒頭の疑問に戻ります。
交通の便が良いことと、街に人があふれていることは同じではありません。
小川駅は鉄道の乗換駅でもあります。
しかし、乗り換える人が必ずしも駅の外へ出て、周辺の道路を歩くとは限りません。
また、研究開発施設や工場を中心とした街区は、飲食店や商業施設が集まる繁華街とは性格が異なります。
私が見た静かなBS中央通りは、そうした街の特徴をよく表しているように思いました。
7.企業が街をつくるということ
東京には、さまざまな成り立ちを持つ街があります。
鉄道会社が住宅地を開発した街。
大学を中心に発展した街。
工場が集まり、働く人々の住宅や商店が増えた街。
そして、企業の大規模な研究開発拠点を中心に整備された街。
小川駅周辺には、そうした企業と街づくりの関係が色濃く残っています。
「BS中央通り」という名前は、その象徴でしょう。
街路樹が整い、道路が広く、歩きやすい。
それでも、歩行者が少ない。
一見すると不思議ですが、道路は人を集めるためだけにあるわけではありません。
施設へのアクセス、物流、通勤、研究開発拠点の機能を支えるための道路もあります。
不動産の仕事では、駅からの距離や道路の幅員、周辺施設などを調べます。
しかし、実際に現地を歩いてみると、それだけでは分からないことがあります。
その道を、誰が、何のために使っているのか。
そこに街の性格が表れます。
8.小川駅西口では再開発が進んでいる
そして現在、小川駅は新しい変化の途中にあります。
小川駅西口では、市街地再開発事業が進められています。
小平市によれば、再開発区域は約1.2ヘクタール。
再開発ビルの建築工事は2026年5月31日に完了しました。
今後は駅前広場などの整備が続き、2029年度の完成が予定されています。
駅前の都市機能を更新し、交通結節点としての役割を高める計画です。
また、再開発ビルには公共施設なども整備され、地域の新しい交流拠点としての役割が期待されています。
これまでの小川駅周辺は、鉄道の乗換機能や大規模事業所の存在感が強い街でした。
再開発によって、駅を利用する人が周辺で買い物をしたり、公共施設を利用したり、待ち合わせをしたりする機会が増えるかもしれません。
ただし、再開発をすれば自動的に街が賑わうわけではありません。
人が集まる目的と、歩きたくなる場所が必要です。
小川駅周辺は、これからその変化が注目される場所だと思います。
9.鎌倉街道、ブリヂストン、そして新しい小川駅
今回、小川駅へ行った目的は、お客様との待ち合わせでした。
その道すがら、ブリヂストンのギャラリーに立ち寄りました。
展示は面白く、企業の歴史や技術について知ることができました。
そして外へ出ると、目の前には「BS中央通り」。
立派な街路樹と広い道路。
しかし、人影はほとんどありません。
最初は、その光景がただ不思議でした。
ところが、調べてみると、この地域には鎌倉街道上道が通り、古くから交通の要所だったことが分かりました。
昭和にはブリヂストンの巨大工場と研究施設が建設され、企業とともに街が発展しました。
そして現在、小川駅では再開発が進んでいます。
中世の街道。
昭和の工場。
現代の研究開発拠点。
そして、これからの駅前再開発。
一つの場所に、何百年もの交通と産業の歴史が重なっています。
街を歩いていると、ときどき思いがけない発見があります。
不動産の仕事で訪れた街ですが、今回も面白いものを見つけました。
次に小川駅を訪れる機会があれば、今度は鎌倉街道の道筋も歩いてみたいと思います。
よくある質問
Q.小川駅は何線が通っていますか?
西武国分寺線と西武拝島線が乗り入れています。国分寺、東村山、拝島方面を結ぶ交通の結節点です。
Q.小川駅の近くに鎌倉街道はあったのですか?
はい。小平市史によると、鎌倉街道上道は現在のブリヂストン東京工場の敷地付近から津田塾大学の東側へ通っていたとされています。ただし、旧道の詳細な位置や変遷には検討の余地があります。
Q.ブリヂストンのギャラリーでは何が見られますか?
企業の歴史、タイヤ技術、モビリティの進化、未来への取り組みなどを紹介しています。施設名はBridgestone Innovation Galleryです。
Q.小川駅西口の再開発はいつ完成しますか?
再開発ビルの建築工事は2026年5月に完了しています。駅前広場などを含む事業全体は2029年度の完成予定です。
参考資料
- 小平市史 近世編(小平市立図書館デジタルアーカイブ)
- 株式会社ブリヂストン「Bridgestone Innovation Park」
- 株式会社ブリヂストン「ブリヂストン物語」
- 小平市「小川駅西口地区第一種市街地再開発事業」
- 東京都都市整備局「小川駅西口地区第一種市街地再開発事業」