東京は昔、どこまで海だった?|縄文海進から平将門・源頼朝・徳川家康まで、海と川がつくった東京6000年史の画像

東京は昔、どこまで海だった?|縄文海進から平将門・源頼朝・徳川家康まで、海と川がつくった東京6000年史

地盤と、街のなりたち

TOKYO / LAND / HISTORY

東京は昔、どこまで海だった?

縄文海進から平将門、源頼朝、徳川家康まで。
海と川がつくった東京6,000年史。

武蔵野台地、多摩丘陵、洪積台地、沖積低地。
東京の歴史をたどると、最後は現在の地盤へ戻ってきます。

東京駅から電車に乗る。

上野を過ぎる。
北千住を過ぎる。
さらに北へ向かい、埼玉へ入る。

現在なら、どこまで行っても街が続きます。

ところが時間を約6,000年前まで巻き戻すと、景色はまったく違います。

海です。

縄文海進の最盛期、現在の東京湾よりはるか北まで海が入り込み、関東平野には巨大な内湾が広がっていました。

現在の地図だけを見ていては、なかなか想像できない東京があります。

しかし、今回本当に面白いのは、 「昔は海だった」ことではありません。

海が退く。

川が土砂を運ぶ。

干潟と湿地ができる。

その川を、人が使う。

古墳が造られる。

古代国家が東国へ進む。

武士が現れる。

そして最後には、人間自身が川の流れと海岸線を変えてしまう。

東京は、海が退いてできた街ではありません。
海が来て、川が運び、人がつくった街です。

不動産の話をするために、約6,000年前から始めます。

表紙の地図 01 / 約7,000〜6,000年前

表紙の1枚目は、縄文海進が最も進んだ頃です。 現在の海岸線と比べるというより、 「いま低地になっている場所の多くへ、水が入り込んでいた」 と見ると分かりやすい。 武蔵野台地や下総台地などの高い場所は陸として残り、その間へ海が深く入り込んでいました。

01 / JOMON TRANSGRESSION

約6,000年前。東京の奥深くまで海だった

最終氷期が終わり、地球が温暖化すると海面は上昇しました。

縄文時代前期には、関東平野の低い場所へ海水が深く入り込みます。

いわゆる縄文海進です。

ただし、現在の東京23区が丸ごと海だったわけではありません。

武蔵野台地や下総台地などの高い土地は残り、その間の低い場所へ海が入り込んでいました。

台地が岬のように突き出し、その間へ海や入り江が入り込む。

東京は、いま私たちが知っている形とはまったく違う「水の世界」でした。

02 / PEOPLE AND HIGH GROUND

人は「水辺の高台」に暮らした

縄文時代の遺跡や貝塚を見ていると、一つの特徴に気づきます。

水辺そのものではなく、 水辺を見下ろす台地の縁 に人が暮らした場所が多い。

水は必要です。 漁労にも、生活にも、移動にも欠かせない。

しかし、水の中には暮らせません。

洪水や高潮を避けながら、水へアクセスできる場所。

高台+水辺。

この組み合わせは、この後の日本史にも何度も現れます。

表紙の地図 02 / 約3,500年前

2枚目では海岸線が大きく後退しています。 ただし、 海が消えた場所が、そのまま現在のような陸地になったわけではありません。 干潟、湿地、沼、浅い水域が残り、その間を川が流れます。 ここから「海の歴史」は「川が土地をつくる歴史」へ変わっていきます。

03 / RIVERS MADE THE LAND

海が退いたあと、川が土地をつくった

縄文海進の最盛期を過ぎると、海岸線は少しずつ後退します。

しかし、 海が退いた場所が、そのまま現在の陸地になったわけではありません。

浅い海。干潟。湿地。沼。 その間を川が流れる。

荒川、利根川、中川、鬼怒川、渡良瀬川。

関東の河川は、山地や台地を削った土砂を何千年も下流へ運び続けました。

川は、水を運んだだけではない。
土地そのものを運んできた。

この堆積によって形成された新しい低地が、現在の東京東部や関東平野の地盤を理解する鍵になります。

04 / UPLAND & LOWLAND

洪積台地と沖積低地。東京は一枚の地面ではない

ここから現在の地盤の話へ入ります。

東京周辺の土地を大きく見ると、 比較的古い台地 と、 河川や海によって新しく形成された低地 に分けて考えることができます。

不動産や地形の説明では、分かりやすく 洪積台地と沖積低地 という対比で説明されることがあります。

武蔵野台地。大宮台地。下総台地。

これらは、荒川・中川・利根川沿いに広がる新しい低地とは成り立ちが違います。

同じ「東京」「関東」でも、土地の年齢が違う。

05 / KANTO LOAM

なぜ武蔵野台地には、関東ローム層が残っているのか

武蔵野台地は、ここ数千年で生まれた土地ではありません。

長い時間をかけて形成されてきた古い台地です。

その表面には、富士山や箱根などから供給された火山灰を主体とする 関東ローム層 が堆積しています。

ここで重要なのは「時間」と「地表がどのように残ったか」です。

火山灰は低地にも降ります。 しかし、海や河川の作用を受け続ける場所では、古い台地のようにそのまま地表へ残るとは限りません。 流されたり、別の堆積物に覆われたり、再堆積したりします。

古くから陸地だった台地には、関東ローム層がまとまって残りやすい。

一方、ここ数千年の間に海・干潟・河川の堆積によって形成された沖積低地では、表層地質の成り立ちが違います。

「関東だから、どこを掘っても同じ関東ローム」というわけではありません。

06 / TAMA HILLS

武蔵野台地より、さらに古い時間を見る――多摩丘陵

さらに時間軸を長くすると、多摩丘陵が見えてきます。

多摩丘陵と武蔵野台地は、一見すると同じ「東京西部の高い土地」に見えます。

しかし、その成り立ちは同じではありません。

より古い地層と侵食の歴史を持つ丘陵。 その東側に広がる武蔵野台地。 さらに東側の沖積低地。

そして近代以降、人間が海を埋めてつくった土地。

多摩丘陵 → 武蔵野台地 → 沖積低地 → 埋立地。

これは東西方向の地図であると同時に、土地の時間を見ているようでもあります。

表紙の地図 03 / 約2,000〜1,200年前

3枚目は、弥生・古墳から奈良時代へ向かう頃。 海岸線はさらに後退しますが、関東平野には大きな河川、沼、湿地が広がっています。 この時代からは 「どこが陸だったか」だけでなく、「どこを船で動けたか」 を見ることが重要になります。

07 / THE 5TH CENTURY

5世紀。稲荷山古墳と江田船山古墳を「地形」から見る

関東では、埼玉県行田市の稲荷山古墳

九州では、熊本県和水町の江田船山古墳

日本史を学んだ方なら、この二つから一つの名を思い浮かべるかもしれません。

ワカタケル大王。

稲荷山古墳から出土した鉄剣と、江田船山古墳から出土した銀象嵌銘大刀。 遠く離れた関東と九州に、5世紀のヤマト王権を考える重要な文字資料が残されました。

稲荷山古墳――利根川・荒川に近い、高い場所

稲荷山古墳を含む埼玉古墳群は、利根川と荒川の低地に面する位置にあります。

しかも古墳群は、低地のど真ん中ではありません。 周囲よりわずかに高い台地・微高地です。

川に近い。
しかし、川より高い。

江田船山古墳――菊池川沿いの高台

江田船山古墳も、菊池川中流域の低地そのものではなく、 清原台地と呼ばれる高い場所に築かれています。

近くには菊池川が流れ、内陸から有明海へ続く水の道がありました。

江田船山古墳から出土した豪華な副葬品からは、遠隔地との交流を考えることもできます。

古墳の立地を水運だけで説明することはできません。

ただ、古代の有力者の立地を考えるとき、
川を地図から消してはいけない。

江田船山古墳 熊本県和水町 筆者撮影
江田船山古墳(熊本県和水町)/筆者撮影。 実際に現地を歩くと、古墳そのものだけでなく、周囲の高低差や菊池川との位置関係まで見たくなる。 「なぜここだったのか」という疑問は、歴史を地形の上に置くことで生まれる。

08 / WATER WAS THE ROAD

古代の「道路」は、川と海だった

現代なら、埼玉と熊本は新幹線や飛行機で結ばれています。 5世紀にはありません。

それでも、人は動いた。

米。鉄。武器。人。そして情報。

その大量輸送に、水運が果たした役割は小さくありません。

古代の地図を見るなら、現代の道路を消して、川を太く描く。

すると、日本史の舞台が少し違って見えてきます。

09 / KATORI & KASHIMA

なぜ香取と鹿島だったのか

千葉県の香取神宮。茨城県の鹿島神宮。

現在の地図では、東京から離れた二つの古社に見えます。

しかし古代の地図へ戻すと、現在の霞ヶ浦、北浦、利根川下流域には、今よりはるかに大きな水域がありました。

香取の海。

古代国家が東国へ勢力を伸ばしていくとき、陸上だけを見ていてはその意味を理解しにくい。

海と川が交通路でした。

香取と鹿島は、信仰の場所であると同時に、古代東国の地理を考えるうえでも興味深い場所です。

坂上田村麻呂など東征の武人と香取を結びつける伝承もありますが、本人の参詣を同時代史料で確定できるものについては慎重に扱う必要があります。

それでも、 なぜ東征の伝承と香取が結びつくのか を考えること自体が、古代の関東を理解する入口になります。

10 / TAIRA NO MASAKADO

平将門は、なぜ現在の東京ではなく下総だったのか

10世紀。

平将門の本拠は、下総国の豊田郡・猿島郡。 現在の茨城県坂東市・常総市周辺です。

現代人は無意識に、 「東京が中心、茨城はその外側」 という地図で考えます。

しかし10世紀に、現在の東京を中心に考える意味はありません。

鬼怒川。利根川。沼沢地。低地。

水のネットワークから見れば、関東の重心はまったく違って見えます。

AT THE SAME TIME IN THE WORLD

将門が関東を駆けていた頃、世界では。

日本では平安時代。
中国では唐が滅び、五代十国から宋へ向かう時代。
ヨーロッパでは中世の政治秩序が形づくられていく頃でした。

東京という巨大都市がまだ存在しない時代に、世界各地で次の時代の形がつくられていました。

表紙の地図 04 / 約800〜500年前

4枚目は鎌倉・室町から戦国期。 海岸線は現在へかなり近づきますが、関東の交通はまだ川と海の影響を強く受けています。 この地図では、 「東京がまだ圧倒的な中心ではない」 ことを意識して見てください。 下総・上総・相模・武蔵、それぞれの武士勢力と水の道が見えてきます。

11 / MINAMOTO NO YORITOMO

頼朝は下総で再起した。それでも、鎌倉を選んだ

1180年。 石橋山で敗れた源頼朝は、海を渡って安房へ逃れます。

そこで勢力を立て直し、千葉常胤、上総広常ら房総の有力武士を味方につけます。

下総、武蔵を経て、鎌倉へ。

頼朝は下総へ行けなかったのではありません。

むしろ下総・上総の勢力が、頼朝の再起を支えました。

それでも頼朝は、そのまま房総や下総を本拠にはせず、鎌倉を選びます。

なぜ鎌倉だったのか

鎌倉は三方を山に囲まれ、一方が海です。

守りやすい。 しかし、閉ざされているわけではありません。

相模湾へ出れば、三浦半島を経て房総方面ともつながる。 さらに源氏との歴史的な関係もある。

頼朝は、当時もっとも賑わっていた場所を選んだというより、
自分の権力を守りながら、水上交通からも切れない場所を選んだ。

そう考えると、鎌倉という場所の必然性が少し違って見えてきます。

表紙の地図 05 / 約400年前

5枚目は家康入府から江戸初期。 現在の海岸線へかなり近づいていますが、日比谷には入り江があり、東側には低湿地が広がっていました。 ここから重要なのは、 自然がつくった土地を、人間が大規模に改造し始める ことです。

12 / TOKUGAWA IEYASU

1590年。家康が江戸へ来る

1590年、徳川家康が関東へ入り、江戸を本拠とします。

このときの江戸について、 「見渡す限りの葦原だった」 という有名なイメージがあります。

確かに東京東部には低湿地が広がり、日比谷には入り江が入り、日本橋から銀座・築地方面にも水と近い土地がありました。

ただし、 「家康以前の江戸には何もなかった」 という理解には異論があります。

家康以前にも江戸城があり、町があり、水陸交通の拠点として機能していた。

家康が手にしたのは、完成した大都市でも、何もない荒野でもなかった。
数千年間、海と川が造成を続けてきた「未完成の土地」だった。

ここから、人間が川そのものを動かし始める

江戸時代になると、東京の土地づくりは新しい段階へ入ります。

それまで主に土地をつくってきたのは、海と川でした。

しかし江戸幕府は、 川の流れそのものを変え始めます。

代表的なのが利根川の東遷です。

現在の利根川は銚子から太平洋へ注ぎますが、もともと現在と同じ流れだったわけではありません。

長い年月をかけた河川改修によって、水害対策、新田開発、水運などを目的に関東の水系は大きく組み替えられていきました。

川を変える。
水を変える。
物流を変える。
農地を変える。
そして長い時間の先に、土地の形まで変わる。

1590 / WORLD HISTORY

家康が江戸へ入った頃、世界は大航海時代。

ヨーロッパ諸国は海を越え、世界規模の交易圏を広げていました。
日本でも南蛮貿易が行われています。

世界が海を越えてつながり始めた時代、家康は関東で川をつなぎ直していました。

江戸は「水の都市」になった

日本橋。隅田川。堀。運河。河岸。

巨大化した江戸の物流を、水運が支えました。

米、材木、魚、酒、人。

江戸では、水路が道路でもありました。

表紙の地図 06 / 現在

最後の6枚目が現在です。 ここまで5枚を見てから現在の地図へ戻ると、芝浦、港南、月島、晴海、豊洲、東雲、有明などの湾岸部が、 自然の海退だけではなく、人間の埋立てによってさらに海側へ広がった東京 だと分かります。

15 / RECLAMATION

そして東京は、今度は海へ出ていく

江戸時代以降、人間はさらに海側へ土地を広げていきます。

芝浦。港南。月島。晴海。豊洲。東雲。有明。

現在ではマンションやオフィスが立ち並ぶ街ですが、数百年前の地図には存在しない土地もあります。

約6,000年前、海は内陸へ入ってきた。
その後、海は退いた。
そして近代以降、今度は人間が海へ出ていった。

16 / GEOLOGY & REAL ESTATE

「昔は海だった」だけでは、地盤は分からない

不動産の話で、 「この辺は昔、海だったから」 と言われることがあります。

しかし6,000年間を追いかけると、それだけではかなり粗い説明だと分かります。

縄文海進で海だった土地。
海退後に自然に陸地化した土地。
川が土砂を堆積させた土地。
旧河道。
埋没谷。
江戸時代に造成された土地。
近代以降に埋め立てられた土地。

成り立ちは、それぞれ違います。

「昔は海=弱い」ではない。
「いま陸地=強い」でもない。

東京の地盤を見るなら、「昔の川」を見る

なぜ、そこに沖積層があるのか。

なぜ、その場所だけ軟らかい地層が厚いのか。

なぜ、同じ町名でも地盤条件が違うのか。

答えの一部は、現在の地図では見えません。 昔の川を見る必要があります。

川が谷を削った。
海が入った。
再び川が土砂を運んだ。

その何千年もの記録が、
いま私たちが建物を建てている地面の下に残っています。

高台が価値を持ち、水辺も価値を持った

ここには面白い逆説があります。

人は高い場所を選びます。 洪水を避けやすい。見晴らしがいい。守りやすい。

しかし、水から離れすぎれば不便です。

生活。農業。漁業。舟運。交易。

だから歴史を追うと、「高台と水辺の境目」が何度も現れる。

不動産を見るとき、私は少し昔の地図を見る

現在の地図は便利です。 駅がある。道路がある。スーパーがある。学校がある。マンションがある。

しかし、ときどき全部消してみます。

駅を消す。道路を消す。建物を消す。

すると残るのは、 台地、谷、川、海。

そこへ古い地図を重ねる。

なぜここに道があるのか。

なぜこの街だけ坂が多いのか。

なぜここに寺社があるのか。

なぜ古代の権力者はここを選んだのか。

そして、なぜ地下の地盤がこうなっているのか。

6,000 YEARS OF TOKYO

東京は、海からできている。

正確には、海だけではありません。

海が来た。

川が運んだ。

人が使った。

そして人間が、川と海岸線まで変えた。

縄文人が海を見ていた台地。

稲荷山古墳と江田船山古墳。

古代国家と香取の海。

平将門が生きた下総。

頼朝が再起した房総と、選んだ鎌倉。

家康が入った江戸。

利根川東遷。

江戸の水路。

近代の埋立て。

そして、現在の東京。

一見、別々の話に見えます。
でも地図の上に置くと、全部、水でつながっています。

歴史を知るために地形を見る。

地形を知るために川を見る。

川を追うと、地盤が見えてくる。

そして地盤を見ると、現在の不動産が少し違って見えます。

不動産は、物件から始めない。

その土地が、どうやって生まれたのか。
そこまで遡ってみるのも、東京の面白い見方だと思います。

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