芝浦の土地は、いつ生まれた?|1丁目・2丁目・3丁目・4丁目、埋立ての歴史を追うの画像

芝浦の土地は、いつ生まれた?|1丁目・2丁目・3丁目・4丁目、埋立ての歴史を追う

芝浦の土地は、いつ生まれた?|1丁目・2丁目・3丁目・4丁目、埋立ての歴史を追う

芝浦一丁目。
芝浦二丁目。
芝浦三丁目。
芝浦四丁目。

現在は、すべて同じ「芝浦」という住所です。

けれど、100年以上前まで時計を戻してみると、 この四つの場所は同じ姿をしていません。

同じ芝浦でも、土地が生まれた時代は同じではない。

ここが、芝浦という街の面白いところです。

前の記事 「田町駅を出たら、昔は海だった。100年前の田町・芝浦を古地図で見る」 では、明治初期から現在まで、海岸線が東京湾側へ移っていく様子を追いました。

今回は、もう少し近づいてみます。

芝浦一丁目は、いつできたのか。
二丁目は。
三丁目は。
四丁目は。

現在の住所を一丁目ずつたどっていくと、 私たちが普段「芝浦」とひとまとめに呼んでいる街の中に、 いくつもの異なる時代が重なっていることが見えてきます。

まず結論|芝浦1〜4丁目は、同時に生まれた街ではない

現在の芝浦を地図で見ると、一丁目から四丁目まで連続した一つの街に見えます。

ところが港区史をたどると、その成り立ちはかなり複雑です。

芝浦一丁目には、近世の段階ですでに陸地だった部分がある。
芝浦二丁目から四丁目は、近代になって造成された埋立地。

さらに二〜四丁目も、一度に埋め立てられたわけではありません。

現在の二丁目となる海面は、1910年に埋立てが始まり、1919年に完成。

現在の三丁目には、1913年に完成した土地と、1919年に完成した土地があります。

現在の四丁目にも、1914年、1919年、1920年に完成した土地が含まれています。

つまり現在は同じ「芝浦」でも、

一丁目から四丁目まで、土地の履歴は少しずつ違う。

ここから、一丁目ずつ見ていきます。

芝浦一丁目|すべてが近代の埋立地ではない

最初は芝浦一丁目です。

芝浦という名前から、

「この辺りは全部、明治以降に海を埋め立ててできた場所」

という印象を持つかもしれません。

しかし、一丁目は少し違います。

港区史によると、現在の芝浦一丁目には、 近世の段階ですでに陸地となっていた部分があります。

古川の河口付近にはデルタ状の土地もあり、 近世初期に人工的に築かれたと考えられる部分も含まれています。

その後、明治から大正にかけて周辺の海面が埋め立てられ、 さらに1936年の町域・町名整理によって、 芝浦町一丁目が成立していきます。

一丁目は、「芝浦=近代の埋立地」と単純には言い切れない場所です。

芝浦の中でも、比較的古い陸地の記憶を含んでいます。

芝浦二丁目|1910年に始まり、1919年に完成した土地

次は芝浦二丁目。

ここから、芝浦の成り立ちはぐっと分かりやすくなります。

現在の芝浦二丁目となる海面は、 1910年(明治43年)10月に埋立てが始まりました。

完成したのは、

1919年(大正8年)2月。

同じ年の12月に芝区へ編入され、芝浦二丁目となります。

着工から完成まで、およそ9年。

現在ではマンションやオフィスが並び、 田町駅から歩いて普通に行き来する街ですが、 その土地そのものが形になったのは約100年前です。

いま歩いている道路も、
マンションが建っている場所も、
それ以前の地図では海だった。

現在の街だけを見ていると、なかなか実感できない時間の差です。

芝浦三丁目|実は「二つの時代」が入っている

田町駅の芝浦口を出て、正面から広がっていく芝浦三丁目。

現在では飲食店やオフィスが集まり、 田町駅東側の中心と言ってよい場所です。

しかし三丁目の歴史は、少し複雑です。

現在の芝浦三丁目1〜5番にあたる海面は、 1910年10月に埋立てが始まり、 1913年(大正2年)11月に完成しました。

翌1914年、この場所には、

「新芝町」

という町がつくられます。

一方、現在の三丁目6〜20番にあたる土地は、 1912年に埋立てが始まり、 1919年(大正8年)2月に完成。

こちらは芝浦町三丁目となりました。

つまり、現在は一つの「芝浦三丁目」ですが、

1913年に生まれた土地と、
1919年に生まれた土地が、
現在の同じ丁目の中に入っています。

住所だけを見ていては分からない境目です。

しかも、昔の「芝浦三丁目」は今の三丁目とは違う

さらに話を複雑にするのが、町名の変更です。

1936年、芝浦の埋立地一帯で大きな町域・町名整理が行われました。

新芝町などの一部は「西芝浦」となり、 芝浦町三丁目も別の町名へ変わっていきます。

そして1964年。

住居表示による再編で、 西芝浦一丁目と西芝浦三丁目から、 現在の芝浦三丁目が構成されました。

港区史でも注意が促されているほど、この変化は複雑です。

昔の地図に「芝浦三丁目」と書いてあっても、現在の芝浦三丁目と同じ場所とは限らない。

古地図を見るときには、ここを知らないと位置を取り違えてしまいます。

芝浦四丁目|1914年、1919年、1920年

そして芝浦四丁目。

芝浦アイランドや大型マンションが集まり、 現在の芝浦を象徴する住宅地の一つです。

四丁目も、一度に完成した土地ではありません。

現在の四丁目2〜4番にあたる土地は、 1913年に埋立てが始まり、 1914年(大正3年)10月に完成。

この場所には、

「月見町一丁目」

という名前が付けられました。

現在の四丁目5〜18番にあたる土地は、 1912年に着工し、 1919年(大正8年)2月に完成。

こちらは「月見町二丁目」になります。

さらに現在の四丁目19〜20番にあたる土地は、 1915年に着工し、 1920年(大正9年)10月に完成。

「月見町三丁目」となりました。

現在の芝浦四丁目の中だけでも、 土地が完成した時期には数年の差があります。

「月見町」|芝浦に、こんな美しい町名があった

ここで少し、埋立てから離れてみます。

芝浦四丁目の歴史を調べると、

月見町。

という、今では使われていない町名が現れます。

なぜ、月見町だったのでしょう。

港区史によると、この名前は、 この海岸が近世以来の「二六夜待ち」の名所だったことに由来します。

二六夜待ちとは、旧暦の特定の夜に人々が集まり、 月の出を待つ行事です。

今では高層マンションと運河の景色が広がる芝浦四丁目。

その場所に、かつて

「月見町」

という住所があった。

街の歴史を知ると、現在の風景が少し違って見えてきます。

1936年|一度、「芝浦」と「西芝浦」に分かれる

埋立てが進み、次々と新しい町が生まれた芝浦。

しかし、新芝町、芝浦町、月見町などが並ぶ状態は、 現在の住所から見るとかなり複雑です。

そこで1936年(昭和11年)、 埋立地一帯の町域・町名が整理されました。

このとき、

芝浦一丁目。
芝浦二丁目。
芝浦三丁目。

そして、

西芝浦一丁目。
西芝浦二丁目。
西芝浦三丁目。
西芝浦四丁目。

などが生まれます。

現在の芝浦一〜四丁目が、そのまま1936年に完成したわけではありません。

まだ「西芝浦」という住所が存在していました。

1964年|ようやく現在の芝浦一〜四丁目へ

そして1964年(昭和39年)。

住居表示によって町の境界が再び整理されます。

西芝浦一丁目・三丁目から現在の芝浦三丁目が構成され、 旧芝浦三丁目と西芝浦二丁目・四丁目から現在の芝浦四丁目が構成されました。

ここでようやく、

私たちが現在使っている「芝浦一丁目〜四丁目」に近い姿になります。

海を埋め立てれば、すぐ現在の街になるわけではありません。

土地が生まれ、 町名が付き、 また町名が変わり、 境界が組み替えられる。

現在の住所になるまでにも、何十年もの時間がかかっています。

約100年前の新しい土地に、現在のマンションが建っている

ここまで歴史を追ってから現在の芝浦を見ると、 街の見え方が少し変わります。

芝浦一丁目には、 グローバルフロントタワー

芝浦二丁目には、住宅とオフィスが混在する街並み。

芝浦三丁目には、田町駅芝浦口から続く商業・オフィスエリア。

芝浦四丁目には、 ブランズタワー芝浦、プラウドタワー芝浦、芝浦アイランドなどの大規模住宅があります。

現在はすべて「芝浦」という一つの街としてつながっています。

しかし、その足元の歴史は一様ではありません。

近世から陸地だった場所。
1913年に生まれた場所。
1914年に生まれた場所。
1919年に生まれた場所。
1920年に生まれた場所。

それらを現在の町割りが包み込んでいます。

「埋立地」という一言だけでは、芝浦は分からない

不動産の話になると、芝浦はよく

「湾岸」
「埋立地」

という言葉でひとまとめにされます。

もちろん、それ自体は間違いではありません。

ただ、ここまで見てきたように、 芝浦一丁目から四丁目までを同じ成り立ちの土地として考えるのも少し違います。

大切なのは、「埋立地かどうか」だけではなく、その土地がどのようにできてきたのかを見ること。

土地の成り立ちと、現在の地盤や液状化などは、 また別の視点から確認する必要があります。

芝浦の地盤・液状化・津波・火災については、 こちらで詳しく整理しています。

田町・三田・芝浦の地盤・液状化・火災・津波

街の歴史から、今の芝浦を見る

歴史を知ったからといって、 マンションの価格が変わるわけではありません。

駅までの距離が短くなるわけでもありません。

けれど、

なぜここに運河があるのか。

なぜ芝浦アイランドが島のような形をしているのか。

なぜ田町駅の東と西で街の景色が大きく違うのか。

そうした現在の風景には、過去から続く理由があります。

街を知ることは、その場所に住むことを少し深く知ることでもあります。

芝浦の暮らしや街並みを現在の視点から見たい方は、

芝浦で暮らす|田町・芝浦の街とマンション

主要タワーマンションを比べたい方は、

芝浦のタワーマンション比較|GFT・ブランズタワー芝浦・プラウドタワー芝浦

をご覧ください。

では、「田町」はどこにある?

芝浦の昔の町名を追っていると、 もう一つ不思議なことに気づきます。

「田町」という名前です。

田町駅があります。

田町という街の名前を、私たちは毎日のように使っています。

不動産を探すときにも、

「田町に住みたい」
「田町駅から徒歩10分以内」

と普通に言います。

ところが現在の港区の住所を探しても、 「田町」という正式な町名はありません。

田町駅の西側は、芝や三田。

東側は、芝浦。

では、

田町は、どこへ行ったのでしょう。

次は、現在の地図から消えた「田町」という町を追います。


続きは、その一件について。

住む人、買う人、売る人。
条件だけでは、わからないことがあります。

田町駅を出たら、昔は海だった。を読む

田町・三田の物件を見る

芝浦で暮らす。を読む

先に、お話を。

株式会社 blue blooded
田町・芝浦サロン
物件より先に、お話を。


参考資料
港区『港区史 通史編 現代(上)』「芝浦(一〜四丁目)」
港区『新修港区史』「芝浦一〜四丁目」

前の記事: 田町駅を出たら、昔は海だった。100年前の田町・芝浦を古地図で見る