
田町駅を出たら、昔は海だった。100年前の田町・芝浦を古地図で見る|埋立地の歴史
毎日、多くの人が行き交う田町駅。
芝浦口を出れば、オフィスビルが並び、その先には運河とマンションが続きます。
芝浦アイランド、グローバルフロントタワー、ブランズタワー芝浦、プラウドタワー芝浦。
現在の芝浦は、都心の住宅地、そしてウォーターフロントの街として、すっかり見慣れた風景になりました。
けれど、この街を100年ほど遡ると、景色は大きく変わります。
田町駅を出た、その先。
現在の芝浦の大部分は、かつて海でした。
いま私たちが歩いている道路も、マンションが建っている場所も、ずっと昔から陸地だったわけではありません。
田町駅を境に、街の成り立ちが変わる。
田町駅の西側には三田があります。
一方、東側には芝浦、その先に海岸があります。
駅を挟んで、それほど離れているわけではありません。
それでも土地の成り立ちを見ると、この二つはかなり違います。
三田側には、古くから陸地だった台地や谷があります。
それに対して、現在の芝浦の大部分は、江戸時代にはまだ海でした。
田町駅は、東京という街が海へ広がっていった境目を感じられる場所の一つです。
同じ「田町駅徒歩圏」でも、三田と芝浦では土地の履歴が違う。
物件を見るとき、この違いを知っているだけでも街の見え方は変わります。
田町・三田・芝浦の地盤については、液状化・水害・津波まで含めて別の記事で詳しく確認しています。
田町は災害に強い?|三田・芝浦の地盤・液状化・火災・津波を見る →
RAILWAY / 1872
そして、この「西の台地」と「東の海」の間を、 1872年、日本最初の鉄道が走りました。
現在の田町駅はまだなく、 高輪では海の上に築堤をつくって品川へ向かいます。 なぜ鉄道はこの場所を選んだのか。 当時の海岸線と現在の地形を重ねると、田町の位置がもう一段よく見えてきます。
なぜ日本最初の鉄道はここを走った?|新橋から多摩川まで、1872年の海岸線・高輪築堤・標高・地盤をたどる →現在の芝浦は、東京が海側へ広がってできた街。
「芝浦」という地名そのものは新しいものではありません。
港区の資料では、文明18年(1486年)の『廻国雑記』に「芝の浦」という記述が確認されています。
つまり、「芝の浦」と呼ばれる海辺は、現在の埋立地ができるよりずっと前から存在していました。
江戸時代には、芝浦周辺の海で魚介が獲られ、「芝海老」などの名前も残ります。
現在の芝浦を見ていると忘れそうになりますが、この場所はもともと東京湾と深く結びついた土地でした。
芝浦は、海から切り離されてできた街ではない。
海とともに形を変えてきた街です。
芝浦・浜松町・晴海・豊洲・有明など、東京湾岸の地名がどこから生まれたのかについては、こちらの記事でもまとめています。
明治から昭和へ。東京は海を埋めながら大きくなった。
東京の人口と産業が拡大すると、港の整備が必要になります。
明治末期から昭和初期にかけて東京港の整備が進み、浚渫した土砂などを利用して海岸部の埋め立てが行われました。
その過程で、現在の芝浦の陸地が形づくられていきます。
つまり芝浦は、自然に海が退いて生まれた土地ではありません。
東京という都市が成長する過程で、人が海岸線を動かし、新しい土地をつくった場所です。
海があった。
港をつくった。
土地をつくった。
そして、街ができた。
この視点を東京全体まで広げると、芝浦だけではなく、現在の東京の低地や湾岸がどのようにつくられてきたのかが見えてきます。
東京は昔、どこまで海だった?|縄文海進から現在まで、東京6000年を見る →
TOKYO BAY / 400 YEARS
芝浦で起きたことを、東京湾全体まで広げてみる。
江戸から現在まで、東京はどこまで海岸線を動かしてきたのか。
埋め立てられた芝浦は、まず住宅地になったわけではない。
現在の芝浦には多くのマンションがあります。
しかし、埋め立てによって土地ができた直後から、現在のような住宅地だったわけではありません。
港に近く、鉄道にも近い。
その立地を生かして、芝浦周辺には工場、倉庫、物流施設などが集まっていきました。
現在でも運河や橋、街区の大きさを見ていると、住宅地になる前の芝浦の姿を感じる場所があります。
芝浦は最初から「ウォーターフロントの高級住宅地」としてつくられた街ではありません。
海。
港。
工場と倉庫。
そして、住宅地へ。
芝浦という街は、東京の成長に合わせて何度も役割を変えてきました。
現在の芝浦をつくった、大きな転換。
東京の産業構造が変わり、工場や倉庫の使われ方が変わると、芝浦の街も変わっていきます。
田町駅周辺ではオフィス開発が進み、運河沿いにはマンションが建つようになりました。
芝浦アイランドをはじめ、大規模な住宅開発が進んだことで、「働く場所」だった芝浦に「暮らす場所」という性格が強く加わります。
現在では、ブランズタワー芝浦、プラウドタワー芝浦、グローバルフロントタワーなど、都心の湾岸住宅を代表するマンションが並びます。
けれど、少し街を歩けば運河があり、古い橋があり、工場や倉庫の時代を感じる場所も残っています。
新しい街と、昔の街。
その二つが混ざっているところが、芝浦の面白さだと思います。
芝浦で暮らす|田町の街並み・暮らし・タワーマンションを見る →
「昔は海だった」で、物件を決めない。
芝浦の歴史を知ると、当然気になるのが地盤です。
昔は海だった。
だから危ない。
そう単純に結論を出すことはできません。
埋立地である以上、液状化や水害など確認すべきことがあります。
一方、タワーマンションの場合には、土地の地盤だけではなく、支持地盤、杭や基礎、耐震・制震・免震、非常用電源、管理、防災計画など、建物側の条件も見なければなりません。
土地と建物は、分けて考える。
そのうえで一つの住まいとして見る。
湾岸のマンションを見るとき、私たちはこの順番を大切にしています。
駅を出る方向を変えるだけで、東京の歴史が変わる。
田町駅の三田口へ出れば、三田の坂と高台があります。
芝浦口へ出れば、平坦な街の先に運河があります。
現在の地図だけを見れば、どちらも「田町駅周辺」です。
でも土地の時間を遡れば、一方には古くからの陸地があり、一方には海があります。
不動産を見ることは、
いま建っている建物だけを見ることではありません。
その土地がどうできたのか。
なぜそこに道路があり、運河があり、マンションがあるのか。
少し時間を遡ると、現在の街の理由が見えてきます。
田町・芝浦は、それがとても分かりやすい街です。
FROM HISTORY TO YOUR HOME
そろそろ、
お客様のお話を。
芝浦で探している。
気になるマンションがある。
三田と芝浦で迷っている。
賃貸と購入で迷っている。
そのくらいからで、十分です。
今見ている一件からでも。
これから探すところからでも。