
帰りの京浜東北線から「広域品川圏」を見る|大井町・品川・田町・浜松町は、なぜ変わるのか
帰りの京浜東北線から「広域品川圏」を見る|大井町・品川・田町・浜松町は、なぜ変わるのか
日暮里でテナントをご案内した帰り。
京浜東北線で、田町へ戻りました。
日暮里。
上野。
東京。
浜松町。
田町。
いつもなら、田町で降りて仕事に戻ります。
ただ今回は、少し違う目で車窓を見ていました。
最近、大井町でOIMACHI TRACKSを見たからです。
大井町で感じた、ちょっとした違和感
先日、大井町を歩いたときに思ったことがあります。
OIMACHI TRACKSとTAKANAWA GATEWAY CITYは、なんとなく似ている。
単に高層ビルだから、ということではありません。
建物の縦方向を強調したデザイン。
緑。
デッキ。
駅と建物とのつながり。
そして、一棟の建物をつくったというより、
駅を中心に、新しい街そのものをつくったように見える。
最初は、建物のデザインが似ているのだと思いました。
ところが調べてみると、もっと大きな共通点がありました。
以前、大井町を実際に歩いたときの様子はこちらでも紹介しています。
大井町・OIMACHI TRACKSを実際に歩いた記事を見る →
「広域品川圏」という考え方
JR東日本は現在、
浜松町
↓
田町
↓
高輪ゲートウェイ
↓
品川
↓
大井町
この5駅にまたがる東京南部のエリアを、
「広域品川圏(Greater Shinagawa)」
と位置づけています。
2026年3月28日。
TAKANAWA GATEWAY CITYのグランドオープンと、OIMACHI TRACKSのまちびらき。
これを大きな節目として、広域品川圏のまちづくりが本格的に動き始めました。
JR東日本は、それぞれの駅前開発を別々の「点」として見るのではなく、浜松町から大井町までを一体のエリアとして捉えています。
参考: JR東日本「広域品川圏」
大井町と高輪ゲートウェイが、どこか似て見えた。
それは建物だけではなく、
街をつくる考え方そのものに、共通するものがあったからなのかもしれません。
広域品川圏そのものについては、こちらの記事でも詳しく整理しています。
浜松町・田町・高輪ゲートウェイ・品川・大井町――広域品川圏を詳しく見る →
車窓から見ると、もっと分かりやすい
電車から見る広域品川圏は、地上を歩いて見るのとは少し違います。
とにかく、
線路が多い。
何本もの線路。
駅。
車両。
高架。
デッキ。
その向こうに巨大なビル。
さらにその向こうには住宅があります。
街の中を鉄道が走っているというより、
鉄道の周りに、街ができている。
そんな景色に見えます。
浜松町――広域品川圏の北側
広域品川圏の北側にあるのが、浜松町です。
浜松町・竹芝にはWATERS takeshibaがあります。
そこから田町、高輪ゲートウェイ、品川、大井町へ。
京浜東北線なら、一本です。
でも、ここで一つ疑問が出ます。
なぜ、この南北に長いエリアを一つの街として考えるのでしょう。
その答えを探していくと、2026年の再開発だけではなく、150年以上前まで話が戻ります。
1872年。ここに日本最初の鉄道が走った
明治5年、1872年。
日本で最初の鉄道が、新橋―横浜間で開業しました。
現在の広域品川圏と重なる場所を、鉄道は150年以上前から南北に走っていたことになります。
しかも、当時の東京の海岸線は現在とは違いました。
高輪付近では、海上に線路を敷設するため、約2.7kmにわたる築堤が造られました。
現在の高輪築堤です。
海だった。
その海に築堤を造った。
その上に線路を敷いた。
そして、列車を走らせた。
現在のTAKANAWA GATEWAY CITY周辺を理解するうえで、この150年前の出来事は外せません。
そして、芝浦も海だった
鉄道が開通した後、東京はさらに海側へ広がっていきます。
芝浦も、埋立てによって形成されていきました。
土地をつくる。
港をつくる。
倉庫をつくる。
工場をつくる。
道路をつくる。
線路を増やす。
そして時代が変わると、
オフィスが建ち、マンションが建ち、人が暮らす街へ変わっていきます。
今の芝浦だけを見ていると、タワーマンションとオフィスが並ぶウォーターフロントです。
でも、その下には、
「東京が海へ広がっていった歴史」があります。
この話は、別の記事につながります。
東京湾は、どこまで埋め立てられたのか。埋立ての歴史を見る →
田町駅を出たら、昔は海だった。田町・芝浦の歴史を見る →
現在の芝浦の不動産・街について見る →
鉄道用地が、今度は街へ変わる
さらに面白いのが、高輪ゲートウェイです。
TAKANAWA GATEWAY CITY周辺の開発用地は、もともと大規模な鉄道関連用地でした。
JR東日本は2009年に品川車両基地の再編に着手。
2019年には京浜東北線と山手線を東側へ移設し、2020年3月に高輪ゲートウェイ駅が開業しました。
そして、車両基地の再編によって生まれた約13ヘクタールの大規模用地で、TAKANAWA GATEWAY CITYの街づくりが進められました。
つまり、
鉄道を支えるために使われていた土地が、今度は街をつくる土地へ変わった。
150年前、海に鉄道を通した。
その後、線路や車両基地が広がった。
そして現在、その鉄道用地を再編して、
新しい街をつくっている。
品川は、その中心になる
その途中にあるのが、品川です。
ここだけは、単純な「駅前再開発」とは規模が違います。
東海道線。
山手線。
京浜東北線。
横須賀線。
東海道新幹線。
京急線。
そして将来の、
リニア中央新幹線。
品川駅そのものが、巨大な交通結節点です。
高輪ゲートウェイだけを見るのでもない。
大井町だけを見るのでもない。
品川だけを見るのでもない。
それぞれの街を、鉄道がつないでいます。
芝浦付近で、新幹線が車窓に入った
田町へ戻る途中。
芝浦付近で、ちょうど新幹線が車窓に入りました。
今回撮った中では、この写真が一番象徴的かもしれません。
線路。
新幹線。
その向こうに建物。
住宅。
オフィス。
全部が同じ風景の中にあります。
そして少し南へ行けば、品川です。
品川では、その地下にリニア中央新幹線の駅がつくられています。
鉄道の上に街があり、その地下にも次の鉄道がつくられている。
東京の都市構造が、何層にも重なっている場所です。
リニアと品川のこれからについては、こちらの記事で詳しく整理しています。
似ていたのは、建物ではなかった
最初の疑問に戻ります。
なぜ、OIMACHI TRACKSとTAKANAWA GATEWAY CITYは、どこか似て見えたのか。
建築デザインにも、共通して見える要素があります。
でも、今日の車窓を見ていると、それだけではない気がします。
大井町。
品川。
高輪ゲートウェイ。
田町。
浜松町。
ここでは、
駅と街を、別々につくっていない。
線路。
駅。
デッキ。
広場。
オフィス。
商業施設。
住宅。
ホテル。
緑。
それらを一つの都市空間としてつないでいく。
だから似ていたのは、
建物ではなく、街のつくり方だった。
そう考えると、かなり腑に落ちます。
鉄道がつくった街を、もう一度つくり直す
1872年。
海だった高輪に築堤を造り、日本最初の鉄道が走りました。
その後、芝浦を埋め立てた。
港ができた。
線路が増えた。
品川は巨大なターミナルになった。
そして約150年後。
高輪ゲートウェイに、新しい街ができた。
大井町にも、新しい街ができた。
品川は、さらに大きく変わろうとしている。
その地下には、次の時代の鉄道であるリニアがやって来る。
こうして見ると、現在の広域品川圏は、
まったく新しい街を、ゼロからつくっているわけではありません。
150年以上にわたって鉄道がつくってきた都市を、
もう一度、現在の暮らしに合わせてつくり直している。
そんな場所なのだと思います。
日暮里から田町まで、いつもの帰り道で
今日の仕事は、日暮里でのテナント案内でした。
そこから京浜東北線で田町へ帰ってきただけです。
でも窓の外を見ていると、
東京の街ができた理由は、今の街並みだけを見ても分からない。
そんなことを改めて感じます。
海だった。
埋め立てた。
鉄道を通した。
駅をつくった。
街ができた。
そして今、その街をもう一度つくり直している。
不動産を見るときも同じです。
なぜ、ここに街があるのか。
なぜ、ここに駅があるのか。
なぜ、ここにこれほど線路が集まったのか。
そして、この街はこれからどこへ向かうのか。
そこまで遡ってみると、街の見え方はかなり変わります。
広域品川圏を、もう少し深く見る
今回の車窓から見えた街は、これまでの記事ともつながっています。
広域品川圏|浜松町・田町・高輪ゲートウェイ・品川・大井町 →
東京湾の埋立て|東京はどのように海側へ広がったのか →
リニア中央新幹線|品川から始まる次の鉄道 →
田町駅を出たら、昔は海だった。田町・芝浦の歴史 →
不動産は、物件から始めない。
街を見る。土地を見る。歴史を見る。
そして最後に、その一件を見る。
そろそろ、
お客様のお話を。
株式会社 blue blooded|田町・芝浦サロン