
学芸大学はどんな街?|実際に歩いて分かった駅前・商店街・住宅街と東横線らしい街並み
学芸大学はどんな街? 実際に歩いて分かった駅前・商店街・住宅街と東横線らしい街並み
今日は、東急東横線の学芸大学駅で物件のご案内でした。
不動産の仕事をしていると、普段は使わない駅で降りることがよくあります。
物件を見るために行くのですが、駅を出て、街を歩いていると、 物件そのものより先に気になることがあります。
この街は、どうしてこんな形をしているのだろう。
今日の学芸大学も、そんな街でした。
駅を出て最初に感じたのは、
「ああ、東横線らしい街だな」
ということです。
GAKUGEI-DAIGAKU
駅を出ると、すぐ街が始まる
学芸大学駅には、巨大な駅前ロータリーがありません。
駅前に広大な広場があり、その周囲を大型商業施設が囲み、 そこから住宅街へ向かう――という最近の再開発駅とは、かなり違います。
東横線は頭上を走っています。
その高架下に駅があり、改札を出ると、ほとんど間を置かずに商店街です。
タクシーが何台も並ぶような大きなタクシー乗り場も見当たりません。
駅と街との間に、大きな空間がない。
駅が街の中にあるというより、
街の中にそのまま駅が差し込まれているように感じます。
これは、今日実際に歩いてみて強く感じたことでした。
道が細い。そして、街が古い。
駅を出てもう一つ感じるのが、 道の細さです。
駅前だからといって、道路が大きく拡幅されているわけではありません。
商店街には小さな店舗が並び、人、自転車、車が同じ街の中を行き交っています。
建物も、新しいビルばかりではありません。
昔から使われてきたような建物の隣に新しい店が入り、 その隣にはまた古い店がある。
街全体を一度つくり直した感じがしません。
これを単純に 「道が狭い」「街が古い」 と捉えることもできます。
けれど、実際に歩いてみると、それだけではないように思います。
学芸大学は、街の「単位」が小さい。
大きな道路、大きなビル、大きな商業施設によって街が区切られているのではなく、 小さな道路、小さな店舗、住宅が細かく連続しています。
だから駅を出た瞬間から、人が街を歩いている。
駅と商店街と住宅地の境目が、非常に近いのです。
駅前に、一つではなく複数の商店街がある
学芸大学駅周辺には、現在も複数の商店街があります。
東口、西口だけではなく、駅を中心にいくつもの方向へ商店街が延びています。
これは、巨大なショッピングセンター一つに商業機能を集約した街とは、かなり違う構造です。
駅から人がそれぞれの方向へ歩いていく。
その動線に沿って店が並び、その先に住宅街がある。
だから駅前だけが賑わって、その先で急に街が終わる感じがありません。
駅を中心として、商店街が住宅地へ染み出していくような構造です。
HISTORY
学芸大学駅は、最初から「学芸大学」ではなかった
この街の古さには理由があります。
学芸大学駅の開業は、 1927年(昭和2年)。
東横線の歴史そのものが、すでに100年近くあります。
しかも開業当初の駅名は、 「碑文谷駅」 でした。
その後、 1936年(昭和11年)に「青山師範駅」、 1943年(昭和18年)に「第一師範駅」へと改称。
そして 1952年(昭和27年)に、現在の「学芸大学駅」 になりました。
面白いのは、その後です。
駅名の由来となった東京学芸大学は、 駅名が「学芸大学駅」になってから12年後の 1964年(昭和39年)に小金井市へ移転しました。
大学そのものは移転しましたが、 駅名と街の名前としての「学芸大学」は残りました。
現在では「学大」という呼び方まで、街の名前としてすっかり定着しています。
駅名そのものにも、街が積み重ねてきた時間が残っているわけです。
高架になっても、街は消えなかった
現在の学芸大学駅を特徴づけているものの一つが、 東横線の高架です。
中目黒から都立大学方面にかけて進められた連続立体交差工事によって、 学芸大学駅付近では 1969年から1970年にかけて線路が高架化されました。
工事全体も1970年に完成し、 鉄道と道路が立体的に分離されていきます。
しかし興味深いのは、その下の空間です。
高架化の翌年となる 1971年、学芸大学駅の高架下に 「東急ショッピングコリドール」が開業しました。
つまり学芸大学では、鉄道を高架へ上げたあと、 その下を単なる空き空間にはしませんでした。
店舗や生活サービスを入れ、街の一部として使ってきたのです。
そして2012年には、旧「東急ショッピングコリドール」がリニューアルされ、 現在の「GAKUDAI KOUKASHITA」へとつながりました。
現在も高架下には、飲食、食品、サービス、カルチャーなどの店舗が続いています。
鉄道の下まで、街になっている。
1970年前後に高架化され、その翌年から高架下が商業空間として使われ、 時代に合わせて姿を変えながら現在まで続いている。
今日駅を降りて感じた「駅と街の距離の近さ」は、 こうした半世紀以上にわたる高架下利用の歴史ともつながっています。
古い街なのに、古いだけではない
学芸大学を歩いて面白かったのは、 古い建物や細い道路が残っている一方で、新しい店もかなりあることです。
昔ながらの店。
新しい飲食店。
小さな専門店。
高架下につくられた新しい店舗。
それらが別々のエリアに分離されているのではなく、 同じ街の中に混ざっています。
古い街を壊して新しい街にしたのではなく、
古い街の中に、新しいものが少しずつ入っている。
これが、学芸大学の街を歩いたときの独特の密度につながっているように感じました。
TOKYU TOYOKO LINE
これは、学芸大学だけなのか
そして学芸大学を歩いているうちに、もう一つ気になりました。
この街の感じは、 学芸大学だけのものなのだろうか。
東横線を見ていくと、祐天寺、学芸大学、都立大学、自由が丘、田園調布、多摩川、新丸子、武蔵小杉と続きます。
もちろん、それぞれの駅で街の性格は違います。
自由が丘と学芸大学は同じではありませんし、 現在の武蔵小杉は大規模な再開発によって、まったく違う景色を持つようになりました。
それでも、渋谷から武蔵小杉あたりまで東横線を追っていくと、 古くからの住宅地、商店街、比較的小さな街路、そして鉄道が近い距離で存在している場所が繰り返し現れます。
なぜなのか。
東横線の開業時期。
高架化。
駅前広場のつくられ方。
戦前から続く住宅地。
そして、その下にある東京の地形。
次は、学芸大学だけではなく、東横線そのものを歩いてみたくなります。
そして、街の下には地形がある
最近、東京の街を地形から見る記事を続けています。
武蔵野台地。
多摩丘陵。
多摩川。
河岸段丘。
国分寺崖線。
街を歩いていると平らに見える場所でも、 少し広い範囲で見ると、台地と谷が繰り返されています。
学芸大学周辺も、その東京西南部の地形の上につくられた街です。
そして東横線は、その地形を横切りながら、 渋谷から多摩川を越え、横浜へ向かいます。
以前の記事では、 武蔵野台地はどこからどこまでなのか を見てきました。
さらに、多摩川の記事では、 河岸段丘や国分寺崖線、多摩丘陵との関係まで追いました。
地形の上に鉄道を重ねると、 なぜ街がここにあり、なぜ駅の周囲に住宅地が広がったのか、 少し違う角度から見えてきます。
今日は、一つの物件を見るために来ました
今日、学芸大学へ来た目的は、一つの物件をご案内するためです。
けれど、物件を見るために駅を降り、 商店街を歩き、道路を渡り、住宅街へ入っていく。
それだけでも、図面には書かれていないことがかなり分かります。
駅を出たときの雰囲気。
道の広さ。
人の歩き方。
商店街との距離。
新しい建物と古い建物の混ざり方。
そして、駅から住宅地へ移っていくときの街の変化。
これは「駅徒歩○分」という数字だけでは、なかなか分かりません。
物件を見る前に、街を見る。
今日の学芸大学は、その意味がよく分かる街でした。
学芸大学は、完成されすぎていない街
大きな駅前広場はありません。
道路も決して広くありません。
古い建物もあります。
街全体が整然と再開発されているわけでもありません。
それでも、駅を出ればすぐに商店街があり、 その先に住宅地が続いています。
古い店の隣に新しい店があり、 頭上には東横線が走り、 その高架下まで街として使われています。
便利だから街があるのか。
街があったから便利になったのか。
学芸大学を歩いていると、 その境目がよく分からなくなります。
新しくつくられた街ではなく、
時間をかけて出来上がった街。
今日歩いてみて感じた学芸大学は、そんな街でした。
RELATED STORIES
街を、もう少し広く見る
NEXT
次は、東横線を歩いてみます。
祐天寺、学芸大学、都立大学、自由が丘、田園調布、多摩川、新丸子、武蔵小杉。
なぜ東横線には、駅を出るとすぐ街が始まる場所が多いのでしょうか。
約100年前につくられた鉄道と、昔からの道、商店街、住宅地。
そして、その下にある東京の地形。
今度は一本の鉄道から、街を見てみます。
blue blooded
不動産は、物件から始めない。
駅を降りる。
街を歩く。
その先で、物件を見る。
図面だけでは分からないことが、
街にはたくさんあります。
先に、お話を。