
山手線は、なぜ丸くなったのか?|貨物鉄道から始まった東京140年の都市形成史|渋谷・新宿・池袋、そして田町・品川の発展
TOKYO RAILWAY HISTORY / 1885–1925
山手線は、
なぜ丸くなったのか。
最初から環状線だったわけではない。
貨物鉄道から始まった東京140年の都市形成史。
東京の鉄道といえば、山手線。
東京、品川、渋谷、新宿、池袋、上野。
都心の主要な街を一周する緑色の電車は、 東京に暮らす人にとって、 あまりにも当たり前の存在です。
ところが、少し考えてみると不思議なことがあります。
なぜ山手線は、東京の中心をまっすぐ横切らず、 大きな円を描いて走っているのでしょうか。
東京の主要駅を結ぶために、 最初から環状線として計画されたのでしょうか。
実は、そうではありません。
現在の山手線の原型は、 都心を一周するための鉄道ではなく、 港と内陸を結ぶための鉄道でした。
そこから約40年。
東京の街が広がり、鉄道が延び、 やがて現在の環状運転が完成します。
今回は山手線を、単なる鉄道の歴史ではなく、 地形・物流・人口移動・都市形成 という視点から見ていきます。
01|山手線は、最初から丸かったわけではない
現在の山手線は、都心を一周する環状運転を行っています。
しかし、開業当初の山手線の原型は、 現在の姿とは大きく異なっていました。
1885年3月1日。
日本鉄道によって、品川と赤羽を結ぶ路線が開業します。
現在の山手線の西側にあたる、 渋谷・新宿方面を通る鉄道です。
開業時の途中駅は、渋谷・新宿・板橋。 目黒・目白は約2週間後に開業しました。
当時は、池袋駅も東京駅もありません。
池袋駅が開業するのは1903年、 東京駅が開業するのは1914年のことです。
つまり山手線は、 現在の東京駅を中心に設計された鉄道ではありませんでした。
この事実を知ると、 山手線がなぜ現在のような形になったのか、 少しずつ見えてきます。
02|1872年、日本最初の鉄道は海側を走った
山手線の歴史を考えるには、 さらに13年さかのぼる必要があります。
1872年。
日本で最初の鉄道が、新橋と横浜の間で開業しました。
現在の田町、品川、大井町、大森、蒲田方面を通る、 東京湾側のルートです。
当時、江戸時代からの埋立地はすでに存在しましたが、 現在の芝浦や港南に広がる大規模な埋立地は まだ形成されていませんでした。
高輪付近では、海上に築堤を築いて 鉄道を通した場所もありました。
その遺構が、品川駅周辺の再開発で発見された 高輪築堤です。
東京の鉄道は、まず海側から発展しました。
その後、港と内陸の鉄道網を結ぶ必要が生まれます。
ここに、山手線の原型が誕生する背景がありました。
03|1885年、品川から赤羽へ。貨物輸送のための鉄道
1885年に開業した品川―赤羽間の鉄道には、 重要な役割がありました。
それは、鉄道同士を結び、 貨物を輸送することです。
南側には新橋・横浜方面の鉄道。
北側には赤羽からさらに北へ延びる鉄道。
これらを結ぶことで、 港から内陸へ、内陸から港へと、 人や物を運ぶことができるようになります。
特に高崎方面などから運ばれる生糸は、 横浜港へ向かう重要な輸出貨物でした。
現在の山手線は通勤・通学の印象が強い路線ですが、 その原型は物流を支える鉄道でもありました。
しかも、当時の東京の市街地は、 現在ほど西側へ広がっていません。
渋谷、新宿、池袋は、 今日のような巨大ターミナルではありませんでした。
山手線は、すでに栄えていた街を 順番につないで生まれたわけではないのです。
1903年、池袋から田端へ。現在の環状線の北側が生まれる
山手線の歴史で、 見落としてはいけない転換点があります。
1903年、池袋―田端間を結ぶ豊島線が開業しました。
これによって、山手線の原型は 北側の田端方面へとつながります。
現在の山手線が池袋から大塚・巣鴨・駒込を経て 田端へ向かうのは、この路線が整備されたためです。
一方、1885年の品川―赤羽間に含まれていた 池袋―板橋―赤羽の区間は、 現在では赤羽線として扱われ、 埼京線の電車が走っています。
つまり、1885年の品川―赤羽間が そのまま丸くなったわけではありません。
池袋から田端へ延びる新たな線路ができたことで、 現在の環状線の北側が形づくられたのです。
04|なぜ渋谷・新宿を通ったのか
現在の山手線の西側には、 渋谷、新宿、池袋という巨大ターミナルが並びます。
しかし、1885年当時、 これらの街は現在のような都市の中心ではありませんでした。
品川から赤羽へ向かう鉄道は、 既成市街地の密集する都心部を避け、 比較的郊外だった西側を通りました。
用地の確保や地形、建設条件などを考えると、 当時の市街地を横断するよりも、 西側を通すことに合理性があったのです。
もちろん、山手線の西側にも起伏はあります。
渋谷は谷地形に位置し、 新宿や池袋周辺には台地が広がっています。
鉄道は、こうした地形に合わせて 切通しや盛土などを設けながら建設されました。
重要なのは、 鉄道ができた当時と現在では、 街の中心が違っていたということです。
現在の繁華街の姿から、 当時の鉄道路線を考えると、 歴史を逆に見てしまいます。
05|渋谷・新宿・池袋は、鉄道によって大きくなった
山手線の開業後、 東京の西側では街の発展が進みます。
その変化をさらに大きくしたのが、 郊外へ延びる私鉄や各方面への鉄道路線でした。
渋谷|谷の街から巨大ターミナルへ
渋谷駅は1885年、 品川―赤羽間の開業とともに誕生しました。
現在の渋谷には、東急東横線、田園都市線、 京王井の頭線、東京メトロなど、 さまざまな路線が集まっています。
渋谷駅の周辺には高低差があり、 複雑な地形と鉄道施設が重なっています。
現在の立体的な駅構造にも、 こうした地形と鉄道発展の歴史が関係しています。
新宿|郊外と都心を結ぶ結節点
新宿駅も1885年に開業しました。
後に中央線、小田急線、京王線、 地下鉄などが集まりました。
西へ広がる住宅地と都心を結ぶ交通の中心となり、 駅周辺の商業地も発展していきます。
現在の新宿駅の巨大さは、 複数の鉄道路線が集まった結果でもあります。
池袋|1903年、分岐点として誕生した駅
池袋駅が開業したのは1903年。
池袋―田端間の豊島線が開業し、 赤羽方面と田端方面へ分かれる地点として 重要な役割を持つようになりました。
その後、東武東上線、西武池袋線などが接続します。
東京の北西部から都心へ向かう人々が集まり、 大きな商業・交通拠点へと成長しました。
鉄道が、街そのものを大きくしていった。
東京・上野・新橋|それぞれ異なる東京の玄関口
山手線の東側に目を向けても、 駅の成立にはそれぞれ異なる理由があります。
上野駅は1883年、北へ向かう鉄道の起点として開業しました。 東北・北関東方面への玄関口として発展していきます。
新橋は1872年、日本最初の鉄道の東京側ターミナルとして出発しました。 ただし、当時の初代新橋駅は現在の汐留地区にあり、 現在の新橋駅とは位置が異なります。
東京駅が開業したのは1914年。 丸の内側に中央停車場を整備し、 各方面の鉄道を結ぶ拠点として誕生しました。
北への玄関口だった上野。
日本の鉄道が始まった新橋。
全国を結ぶ中心駅として誕生した東京。
異なる時代、異なる目的で生まれた駅が、 やがて一つの環状運転で結ばれたのです。
恵比寿・原宿・高田馬場にも、それぞれの理由がある
恵比寿は、ビール工場と深い関係を持つ駅です。 貨物の取扱いから始まり、 後に旅客駅として発展しました。
原宿駅は1906年に開業しました。 その後、明治神宮や表参道の整備、 商業・文化の発展によって 独自の街の性格を形成しました。
高田馬場駅は1910年に開業しました。 早稲田方面へのアクセスや 西武新宿線との接続によって、 通学・通勤の拠点として成長しました。
駅ができた理由と、 現在その駅が利用される理由は、 必ずしも同じではありません。
それも山手線の歴史の面白さです。
06|1925年、山手線はついに一周する
山手線が現在のような環状運転を始めたのは、 1925年11月1日のことです。
1885年の品川―赤羽間開業から、 40年が経過していました。
この間に東京の鉄道網は発展します。
1903年には池袋―田端間が開業。
1909年には山手線の電車運転が始まり、 田町駅・浜松町駅も開業しました。
1914年には東京駅が開業。
1919年には中央線の東京駅乗り入れによって、 山手線と中央線をつなぐ 「の」の字運転が行われるようになります。
そして1925年、 神田―上野間の高架線が完成し、 山手線の環状運転が実現しました。
1872年
新橋―横浜間に日本最初の鉄道が開業
1885年
品川―赤羽間が開業。山手線の原型が誕生
1903年
池袋―田端間の豊島線が開業。現在の環状線の北側が誕生
1909年
山手線の電車運転開始。田町・浜松町駅が開業
1914年
東京駅が開業
1919年
中央線の東京駅乗り入れ。「の」の字運転
1925年
神田―上野間が開通。環状運転が開始
2025年
山手線の環状運転開始から100年
ここで注意したいのは、 1925年にすべての線路が 新しく建設されたわけではないことです。
それまでに整備されていた路線をつなぎ、 一周できる運転系統が完成したのです。
山手線は、40年にわたる鉄道整備の結果として 丸くなりました。
07|山手線の内側と外側で、東京はどう変わったのか
山手線が環状線になると、 東京の街を見る一つの目安が生まれました。
それが「山手線の内側」と「山手線の外側」です。
現在でも、不動産の広告や街の説明で よく使われる表現です。
ただし、山手線の内側だから高台、 外側だから低地というわけではありません。
例えば、山手線の内側にも、 東京湾沿いの低地や谷地形があります。
一方、外側にも、 武蔵野台地などの高台が広がっています。
東京の地形は、 鉄道路線の内外だけでは判断できません。
鉄道がつくった都市の区分と、 何万年もの時間をかけて形成された地形は、 別のものだからです。
不動産を考えるときにも、 この違いは重要です。
08|田町・浜松町・品川・大崎・五反田・目黒・高輪ゲートウェイの歴史
山手線の歴史というと、 渋谷、新宿、池袋に注目が集まりがちです。
しかし、東京湾側と城南地域の歴史も重要です。
品川から田町、浜松町、新橋へ。
この区間には、 1872年の日本最初の鉄道につながる歴史があります。
一方、大崎、五反田、目黒には、 山手線の西側が形成されてきた歴史があります。
同じ山手線でも、 区間によって成立の背景が違うのです。
大崎|鉄道と工場の街から、都心の業務拠点へ
大崎駅が開業したのは1901年です。
品川と目黒の間に後から設けられた駅で、 周辺には工場や鉄道関連施設が立地していました。
目黒川沿いの低地には、 工業用地として利用された場所もあります。
その後、工場跡地などの再開発が進み、 大崎ニューシティ、ゲートシティ大崎などが誕生。
さらに埼京線・りんかい線・湘南新宿ラインなどが接続し、 大崎は業務と広域交通の拠点になりました。
かつて工場が集まった街が、 オフィスと住宅の集まる街へ。
大崎は東京の産業構造の変化を映す駅です。
五反田|目黒川の谷に生まれた駅
五反田駅は1911年に開業しました。
1885年に山手線の原型が開業した時点では、 五反田駅はまだありませんでした。
周辺の市街地が発展するなか、 大崎と目黒の間に新たな駅が設けられたのです。
五反田の地形を見ると、 目黒川が流れる低地と、 その周囲の台地が特徴的です。
後には東急池上線、都営浅草線も接続。 商業・業務・住宅が混在する街へと成長しました。
山手線の駅は平面的に並んでいますが、 実際の街には高低差があります。
目黒|1885年から存在する、山手線の古い駅
目黒駅は1885年3月16日、 品川―赤羽間の開業から約2週間後に誕生しました。
現在の目黒駅は品川区上大崎にあります。 駅名と所在地の行政区が異なることも、 東京の街の歴史を考えるうえで興味深い点です。
目黒駅周辺は台地上に位置し、 目黒川へ向かって地形が下がっていきます。
後に東急目黒線、東京メトロ南北線、 都営三田線が接続する交通拠点となりました。
古くからの鉄道駅が、 地下鉄ネットワークによって 新たな役割を持つようになった例です。
田町|日本最初の鉄道から37年後にできた駅
1872年、日本最初の鉄道が新橋と横浜の間で開業しました。
その線路は現在の田町駅付近を通っていましたが、 当時、田町駅はありませんでした。
田町駅が開業したのは1909年12月16日です。
三田側には旧来の市街地と台地があり、 芝浦側には海岸線と、その後の埋立地が広がります。
つまり田町は、 日本の鉄道創業期の線路に、 都市の発展に合わせて後から設けられた駅です。
現在は山手線・京浜東北線の駅として、 三田の業務・教育機能と、 芝浦の住宅・オフィスを結んでいます。
浜松町|鉄道と港、そして空港を結ぶ駅
浜松町駅は1909年12月16日に開業しました。
田町駅、烏森駅(現在の新橋駅)と同じ日です。
日本最初の鉄道のルート上にありながら、 駅そのものは後年に設置されています。
周辺には芝の市街地があり、 東側には竹芝などの港湾地区が広がります。
1964年には東京モノレールが開業し、 浜松町は羽田空港への玄関口となりました。
鉄道創業期の沿線駅が、 航空交通とも結ばれる拠点へ変わったのです。
現在は浜松町駅周辺から竹芝・芝浦にかけて、 大規模な都市更新が続いています。
品川|日本最初の鉄道から、新幹線・リニアへ
品川駅は1872年、 日本最初の鉄道の開業時から存在する駅です。
駅名は品川ですが、 所在地は港区高輪・港南にまたがります。
東海道の交通拠点として発展し、 現在は東海道新幹線や京急線も利用できます。
将来はリニア中央新幹線の東京側ターミナルとなる計画です。
1872年の蒸気機関車から、 21世紀の高速鉄道へ。
品川は日本の鉄道史を長い時間軸で見ることができる駅です。
高輪ゲートウェイ|鉄道用地の再編から誕生した新駅
高輪ゲートウェイ駅は2020年3月14日に開業しました。
田町駅と品川駅の間に設けられた、 山手線の新しい駅です。
その背景には、 品川駅周辺の車両基地機能の再編と、 生み出された土地の再開発があります。
TAKANAWA GATEWAY CITYは、 2025年3月27日にまちびらきし、 2026年3月28日にグランドオープンしました。
さらに、この地域では、 明治時代に海上へ築かれた 高輪築堤の遺構も発見されています。
日本最初の鉄道が海の上を走った場所に、 約150年後、新しい駅と街が生まれた。
高輪ゲートウェイは、 山手線の歴史と東京の未来が交差する駅です。
09|山手線は、東京の不動産価値をどう変えたのか
鉄道ができると、人の移動が変わります。
人の移動が変わると、 商業施設や住宅地の立地も変わります。
山手線と接続する私鉄網は、 東京の住宅地の広がりに 大きな役割を果たしてきました。
渋谷、新宿、池袋は、 郊外から都心へ向かう人々の結節点となりました。
一方、東京、新橋、品川方面は、 業務機能や広域交通の拠点として発展しました。
こうして山手線の各駅は、 それぞれ異なる性格を持つ街へと成長しました。
ただし、山手線沿線という理由だけで 不動産の価値が決まるわけではありません。
同じ駅でも、 駅からの距離、地形、街並み、 建物の管理状態、周辺環境は異なります。
鉄道の利便性は重要ですが、 その駅の周辺で、どのような暮らしができるか まで考える必要があります。
10|140年後の山手線。東京の中心は変わり続ける
1885年、品川と赤羽を結んだ鉄道。
1925年、都心を一周する環状運転が完成した山手線。
そして2026年。
山手線の周辺では、 今も大きな都市の変化が続いています。
高輪ゲートウェイでは、 新しい街づくりが進んでいます。
品川駅周辺では、 広域交通拠点としての機能強化が計画されています。
浜松町や芝浦でも、 オフィス、住宅、商業施設を含む 大規模な都市更新が進んでいます。
140年前には、 現在の渋谷、新宿、池袋が これほど巨大な都市になるとは 想像しにくかったでしょう。
同じように、 現在進んでいる開発が、 数十年後の東京にどのような影響を与えるかも、 簡単には言い切れません。
ただ、一つ言えることがあります。
人の流れが変わると、街も変わる。
山手線の歴史は、 そのことを140年にわたって示してきました。
インバウンド時代、日中の混雑をどう考えるか
現在の山手線は、通勤・通学だけでなく、 国内外の観光客にも利用されています。
朝夕のラッシュに加え、 日中や休日の混雑にも目を向ける必要があるでしょう。
特に大きな荷物を持つ旅行者の移動や、 乗換えに不慣れな利用者の増加は、 車内だけでなく駅構内の人の流れにも影響します。
もっとも、日中の混雑を インバウンドだけが原因と断定することはできません。
並行する鉄道路線への利用分散、 多言語による分かりやすい乗換案内、 手荷物配送サービスの活用、 駅構内の動線改善など、 都市全体で人の流れを考えることが重要になります。
かつて貨物輸送を担った山手線が、 東京の成長とともに役割を変えてきたように、 これからも都市の変化に合わせた対応が求められるでしょう。
11|山手線は、東京の成長を描いた線だった
山手線は、なぜ丸くなったのでしょうか。
最初から東京を一周するために つくられたわけではありません。
品川と赤羽を結ぶ鉄道として始まり、 貨物や人の輸送を担い、 東京の拡大とともに鉄道網が整備され、 1925年に環状運転が完成しました。
その後、渋谷、新宿、池袋などの街は、 鉄道の発展とともに大きく成長しました。
一方、田町、浜松町、品川には、 日本の鉄道創業期から続く歴史があります。
同じ緑色の電車に乗っていても、 車窓の向こうには、 それぞれ異なる東京の歴史が広がっています。
普段何気なく利用している山手線。
その線路を地図で眺めてみると、 東京という都市が、 どのように広がってきたのかが見えてきます。
山手線の丸い形は、 東京の発展の歴史そのものなのかもしれません。
街を知ることは、住まいを知ること。
同じ山手線の駅でも、 街の歴史、地形、暮らしやすさは異なります。
私たちは田町・芝浦を拠点に、 街の背景も大切にしながら、 お客様の住まい選びをお手伝いしています。
株式会社 blue blooded
田町・芝浦サロン
物件より先に、お話を。