
神宮外苑再開発の全貌|新神宮球場・秩父宮ラグビー場と青山の歴史、不動産価値の未来
神宮外苑再開発 早わかり
- 場所:港区北青山と新宿区霞ヶ丘町にまたがる、約28haの再開発
- 事業者:三井不動産、明治神宮、日本スポーツ振興センター(JSC)、伊藤忠商事
- 順番:①神宮第二球場の跡地に新しい秩父宮ラグビー場(2026年2月着工、2030年開業予定)→ ②今のラグビー場の場所に、ホテル併設の新神宮球場 → ③今の神宮球場の跡地を広場に
- 新秩父宮ラグビー場:日本初の屋内全天候型。ラグビー時約1万5,000人、コンサート時約2万5,000人
- いちょう並木:伐採しない。新球場との距離を約8mから約18.3mに広げる計画に変更(2024年9月)
- 全体の完成:2036年ごろの見込み
MILANO × TOKYO|全2部
スタジアムが変える、街の未来。
第一部では、インテルとACミランによる新サン・シーロ計画を、土地取得と不動産開発の視点から考えました。第二部では東京の神宮外苑へ。二つの都市の再開発を比較します。
第一部|インテルの新サン・シーロは、不動産開発だった青山は、巨大な商業施設がなくても魅力的だった
六本木には六本木ヒルズがある。
東京ミッドタウンもある。
日本橋にはコレドがあり、丸の内には丸ビルがある。
では、青山には何があるのでしょうか。
表参道には世界的なブランドの旗艦店が並び、南青山には専門店やギャラリー、レストランが点在しています。
骨董通りには独特の落ち着きがあり、青山通りには洗練されたオフィスや商業施設が並びます。
もちろん、表参道ヒルズ(住所は渋谷区神宮前)や大型ブランド店舗など、集客力のある施設も存在します。
しかし、青山全体を一つにまとめるような巨大複合施設は、六本木ほど目立ちません。
それは青山の弱点だったのでしょうか。
私は、必ずしもそうは思いません。
青山は、巨大な商業施設に人を集めるのではなく、街を歩くこと自体に価値がある場所でした。
どこで買い物をするか、どの店で食事をするか。
最初から決めずに歩くことが楽しい。
そうした街の魅力が、青山のブランドをつくってきたのだと思います。
東京の住宅地の価値を、歴史や地形から考えた記事もあります。「東京の高級住宅街はなぜ坂の上に多い?|麻布・赤坂・番町・白金・城南五山の歴史と地盤」では、街の評価がどのように形成されてきたのかを取り上げています。
山口から江戸へ、日本橋の薬屋と青山の菩提寺
私の先祖は、約300年前、山口から江戸へ出てきました。
日本橋で薬屋を営み、以来、約300年にわたって商いを続けてきた家です。
そして、江戸へ出てきた当時から、我が家の菩提寺は神宮周辺の立泉寺でした。
立泉寺の墓地には、約300年前にさかのぼる古いお墓が今も残っています。
私自身も、年に4回、お布施を納めに訪れています。
日本橋と青山。
現在では別々の商業地として認識されていますが、江戸時代の東京を考えれば、両者は決して無関係ではありません。
日本橋には商人が集まり、青山、赤坂、麻布、芝などには武家屋敷や寺院が広がっていました。
江戸城の拡張や大火によって、江戸の中心部から周辺地域へ移転した寺院もあります。
商いをする場所と、先祖を供養する場所。
その二つを結ぶ人々の往来が、江戸の街にはあったのです。
我が家の場合、その関係が約300年続いてきました。
いま私は、港区で不動産業を営んでいます。
神宮外苑は、再開発のニュースを見て初めて関心を持った場所ではありません。
先祖の墓があり、今も定期的に訪れる場所です。
建物は建て替わり、道路は整備され、街の姿は変わっていきます。
しかし、土地と人との関係は、何世代にもわたって続くことがあります。
不動産には価格があり、収益性があり、所有権があります。
けれども、その土地に積み重なった時間は、登記簿にも不動産広告にも書かれていません。
神宮外苑の再開発を考えるとき、私はそうした土地の記憶も大切にしたいと思っています。
東京という街が、海や川、地形、そして人々の営みによってどのようにつくられてきたのか。その長い歴史については、「東京は昔、どこまで海だった?|縄文海進から平将門・源頼朝・徳川家康まで、海と川がつくった東京6000年史」でも詳しく書いています。
神宮外苑は、100年かけてつくられた街
神宮外苑の歴史は、大正時代にさかのぼります。
聖徳記念絵画館を中心に、いちょう並木や競技施設が配置され、東京を代表するスポーツと文化の拠点となりました。
神宮球場は1926年に開場しました。
東京六大学野球の舞台として、早稲田大学と慶應義塾大学の早慶戦をはじめ、数多くの名勝負が行われてきました。
その後、プロ野球のヤクルトスワローズの本拠地としても親しまれるようになります。
秩父宮ラグビー場は、日本のラグビー文化を支える重要な競技場です。
また、神宮第二球場にはゴルフ練習場があり、周辺には軟式野球場やバッティングセンターもありました。
神宮外苑は、スポーツを観戦する場所であると同時に、一般の人がスポーツを楽しむ場所でもあったのです。
同じ港区でも、三田・田町にはまた違った歴史があります。「福沢諭吉はなぜ三田を選んだ?|慶應義塾と田町の歴史」では、慶應義塾と街の関係を取り上げています。神宮球場の早慶戦と、三田の歴史をつなげて読むこともできます。
神宮第二球場はなくなった
神宮第二球場は、再開発に伴って解体されました。
特徴的だったゴルフ練習場も営業を終了しています。
第二球場の跡地では、2026年2月に新しい秩父宮ラグビー場の工事が始まりました。2030年の開業を予定しています。
その後、今のラグビー場の場所にホテル併設の新しい神宮球場を建て、今の神宮球場の跡地は広場になる計画です。施設を一つずつ建て替える「玉突き」の順番なので、工事の期間中も野球やラグビーの試合を続けられます。
これは、ミラノの新サン・シーロが、今のスタジアムの隣に新スタジアムを建ててから移る方法とよく似ています。
そのミラノの事例については、第一部「インテルの新サン・シーロは、不動産開発だった」で、土地取得から建設計画、収益構造まで詳しく分析しています。
また、軟式野球場やバッティングセンターも再開発によって姿を変えます。
新しい広場や歩行者空間が増えることは、街にとって一つの利点でしょう。
しかし、広場が増えることと、スポーツをする場所が増えることは同じではありません。
都心で気軽に野球やゴルフを楽しめる場所が失われることにも、目を向ける必要があります。
新神宮球場で、ヤクルトの野球は変わるのか
現在の神宮球場は、両翼97.5m、中堅120m。
ホームランが出やすい球場として知られています。
新球場では、グラウンドの寸法や外野フェンスの形状がどのようになるのか、野球ファンにとって大きな関心事です。
仮に外野が広くなれば、ホームラン数が減り、俊足の外野手や守備範囲の広い選手の価値が高まるかもしれません。
フライを打たせる投手の成績にも影響する可能性があります。
球場の形状は、チームの戦術や選手起用にも関わります。
ただし、最終的なグラウンド寸法やフェンスの仕様を確認しない限り、新球場が投手有利になると断定することはできません。
また、東京六大学野球も新球場で継続する方針です。
早慶戦という長い歴史を持つ伝統行事は、新しい神宮にも引き継がれることになります。
いちょう並木を守るため、球場の配置が変わった
神宮外苑の象徴といえば、4列のいちょう並木です。
秋には黄金色に染まり、聖徳記念絵画館へ向かって美しい景観をつくります。
しかし、再開発では新球場といちょう並木との距離が問題になりました。
当初の計画では、球場の地下構造物がいちょう並木に近く、根への影響が懸念されていました。
その後、事業者は根の調査を行い、2024年9月に計画を見直しました。いちょう並木から新球場の建物までの距離を、約8mから約18.3mに広げる方針です。いちょう並木は伐採しないとしています。
あわせて、伐採する樹木は743本から619本に減らし、高さ3m以上の樹木は再開発の前より400本多い2,304本にするとしています。
約10mの変更です。
都心の再開発において、これは決して小さな変更ではありません。
球場の位置や形状、客席の配置などにも影響します。
ここで考えたいのは、樹木の本数だけで緑の価値を判断できるのか、ということです。
新しく木を植えることは大切です。
しかし、長い時間をかけて育った大木と、新しく植えた若木は同じではありません。
神宮外苑の景観は、単なる緑地面積ではなく、100年近い時間の積み重ねによって形成されてきました。
再開発では、その時間をどう受け継ぐかが問われています。
ラグビー場は本当に必要なのか
神宮外苑には、神宮球場だけでなく秩父宮ラグビー場もあります。
新しい秩父宮ラグビー場は、日本で初めての屋内全天候型のラグビー場です。ラグビーの試合では約1万5,000人規模の観戦に対応する計画です。
一方、コンサートなどのイベントでは、最大約2万5,000人規模の利用が想定されています。
つまり、新しい施設はラグビー専用というより、屋内の多目的イベント施設としての性格も強くなります。
建設と運営を担うのは、鹿島建設を代表に、三井不動産、東京建物、東京ドームが参加する「秩父宮ラグビー場株式会社」です。
2026年2月には、三井住友フィナンシャルグループが10年間・総額約100億円規模で命名権を取得し、「SMBC Olive SQUARE」という副名称が付くことも報じられました。
年間約10億円。ミラノのジェネラリ・スタジアムについて報じられている命名権の規模とは異なりますが、試合をしなくても収入を生む命名権の考え方は、ここでも同じです。なお、ミラノ側の契約額・期間には報道による違いがあり、単純比較には注意が必要です。
これは欧州のスタジアム経営と共通する発想です。
マンチェスター・シティのエティハド・キャンパスでは、サッカー場とは別に大型のコンサートアリーナが整備されています。
神宮外苑でも、ラグビーの試合がない日にコンサートや展示会を開催することで、施設の稼働率を高めようとしているのでしょう。
ただし、隣接する国立競技場との役割分担や、都心の土地を使うことの合理性については、今後も検証が必要です。
三井不動産は青山に何をつくろうとしているのか
ここからは、不動産会社としての視点です。
神宮外苑再開発では、神宮球場やラグビー場の建て替えだけでなく、オフィス、ホテル、商業施設などが計画されています。
事業は、市街地再開発事業の「権利変換」という仕組みを使って進められています。
三井不動産は、明治神宮などの土地権利者と共同して、高層の複合施設を含む再開発を進める事業者の一つです。具体的な土地・建物の権利関係は、権利変換計画や各施設の契約条件によって異なるため、単純にすべての土地を借りるという構造ではありません。
一方、明治神宮にとっては、土地などの権利を活用し、長期的な収益を確保することが重要な目的の一つです。
土地を売却して終わるのではなく、長期的な収益を生む仕組みです。
ミラノでは、クラブが市から土地を買い取りました。神宮外苑では、従前の土地権利者と民間事業者が権利変換などを通じて街をつくり替えます。同じスポーツ施設を核にした再開発でも、お金の流れはまったく違います。
また、伊藤忠商事の本社機能を含む大規模な事務所棟も計画されています。
これらの施設によって、新たな就業人口が生まれます。
神宮球場やラグビー場に観客が来ない平日でも、オフィスで働く人々が飲食店や商業施設を利用する。
ホテルには観光客やビジネス客が宿泊する。
スポーツ、オフィス、ホテル、商業を組み合わせることで、年間を通じて人が集まる街をつくろうとしているのです。
青山には、新しいキラーコンテンツが必要なのか
私は、ここに一つの疑問があります。
青山は、これまで巨大な商業施設を必要としてこなかった街ではないでしょうか。
六本木ヒルズのような大規模施設がなくても、青山には人が集まってきました。
それぞれの店に個性があり、街を歩くこと自体が楽しかったからです。
しかし、神宮外苑に大規模なホテルや商業施設が整備されれば、青山の人の流れは変わるかもしれません。
新しい施設だけで買い物や食事が完結してしまえば、既存の商店街には十分な恩恵が及ばない可能性があります。
一方、神宮外苑を訪れた人が外苑前から青山通り、骨董通り、表参道へと歩くようになれば、街全体の価値を高めることにつながります。
三井不動産がどのような店舗やホテルを誘致するのか。
それが、青山の未来を考えるうえで重要なポイントになると思います。
港区の不動産価値はどう変わるのか
神宮外苑の再開発は、港区北青山と新宿区霞ヶ丘町にまたがる事業です。
不動産への影響は、単純に地価が上がるか下がるかという話ではありません。
新しいオフィスが供給されれば、既存の中小規模ビルとの競争が変わります。
ホテルや商業施設が増えれば、外苑前周辺の飲食店や店舗の需要にも影響するでしょう。
住宅についても、利便性や街の魅力が高まる可能性がある一方、イベント時の混雑や工事期間中の環境変化などを考える必要があります。
そして、歴史あるいちょう並木や寺院、街路景観がどのように守られるかも、不動産価値と無関係ではありません。
街の価値とは、建物の高さや延床面積だけで決まるものではないからです。
港区内でも、田町・芝浦はまた違った形で街の価値を変えてきました。かつての海や埋立地が、鉄道や都市開発によって現在の街へと変化してきた歴史は、「田町・芝浦100年前の古地図と埋立ての歴史」で紹介しています。
現在の田町・芝浦での暮らしや不動産については、「田町の不動産・マンション完全ガイド|賃貸・購入・売却を田町の不動産会社が解説」もご覧ください。
100年後の青山に、何を残すのか
約300年前、山口から江戸へ出てきた私の先祖。
日本橋で薬屋を営み、青山周辺の立泉寺を菩提寺としてきました。
そのお墓は、今も残っています。
その間、江戸は東京となり、街の姿は大きく変わりました。
商家も、寺院も、道路も、建物も、時代とともに変わってきました。
神宮外苑もまた、新しい時代に合わせて姿を変えようとしています。
古い施設を残すことだけが正しいとは思いません。
一方で、新しい建物をつくれば街が良くなるとも限りません。
大切なのは、これまでの街が持っていた価値を理解したうえで、次の時代に何を残すのかということです。
青山には、なぜ六本木ヒルズがなかったのか。
それは、青山が一つの巨大な施設に依存せず、街全体で魅力を育ててきたからかもしれません。
そして三井不動産は、その青山に新しい集客の中心をつくろうとしています。
新しい神宮外苑が、青山という街の魅力をさらに広げるのか。
それとも、街のあり方そのものを変えてしまうのか。
港区で不動産業を営む者として、そして300年にわたりこの街とのつながりを受け継いできた家の一人として、これからも見ていきたいと思います。
MILANO × TOKYO|全2部
スタジアムが変える、街の未来。
ミラノでは、インテルとACミランが市から土地を取得して新スタジアムを建設する。東京では、神宮外苑の歴史を受け継ぎながら再開発が進む。二つの街を比較すると、土地の所有権と街の価値の違いが見えてきます。
第一部|インテルの新サン・シーロは、不動産開発だった →よくある質問
Q. 神宮外苑の再開発は、いつ完成しますか?
A. 全体の完成は2036年ごろの見込みです。最初に新しい秩父宮ラグビー場が2030年に開業する予定です。
Q. 神宮球場は、いつ建て替えられますか?
A. 新しいラグビー場が完成したあと、今のラグビー場の場所に、ホテル併設の新球場を建てる計画です。新球場の完成後、今の神宮球場は解体され、跡地は広場になります。
Q. いちょう並木は伐採されますか?
A. 事業者は伐採しないとしています。2024年9月の計画見直しで、並木と新球場の距離を約8mから約18.3mに広げました。
Q. 神宮第二球場の跡地はどうなりますか?
A. 新しい秩父宮ラグビー場が建設されています。2026年2月に着工しました。
Q. 新しい秩父宮ラグビー場には何人入りますか?
A. ラグビーの試合で約1万5,000人、コンサートなどのイベントで約2万5,000人です。屋根の付いた、日本初の屋内全天候型のラグビー場になります。
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神宮外苑から、港区の歴史、田町・芝浦の街づくりへ。土地と街の変化を考える関連記事です。
参考:神宮外苑地区まちづくり関連の東京都公表資料、事業者公表資料、Impress Watch(2026年2月、新秩父宮ラグビー場の着工)、時事通信(2024年9月9日、計画見直し)、共同通信配信(2026年2月12日、命名権)。数字は報道・公表時点のもので、今後変更される可能性があります。