
地下に、埋もれた谷がある。
「台地だから強い」「低地だから弱い」。地盤は、そこまで単純ではありません。地形は大切な手掛かりですが、実際の地盤特性は、その地下を何が埋めているのか、どの深さにどの地層があるのかによって変わります。
その一つが埋没谷(まいぼつこく)です。ただし、埋没谷があることと、その土地や建物が「危険」であることは同じではありません。この記事では、地形・谷を埋める堆積物・建物の基礎を分けながら、丸の内・東京低地・武蔵野台地の地下を見ていきます。
先に、お話を。
氷期(今より寒かった時代)には、海面が現在より百数十メートルも低い時期がありました。海が遠のいたぶん、川は今の海面よりずっと深くまで谷を刻みます。やがて気候が暖かくなって海面が上がると、刻まれた深い谷はふたたび水の下になり、川が運ぶ土砂や海の泥——軟らかい沖積層——で少しずつ埋められていきました。
とくに大きかったのが、約六千五百〜六千年前にピークを迎えた縄文海進です。海面は今より数メートル高くなり、東京の低地の奥深くまで海が入り込みました(奥東京湾)。このとき谷を埋めた海の粘土は、東京・有楽町の地下で見つかったことから有楽町層と名づけられています。縄文海進が「有楽町海進」とも呼ばれるのは、このためです。
埋没谷とは、過去に河川などが刻んだ谷が、その後の堆積物によって埋められ、現在の地表からは谷の形が見えにくくなった地形です。東京低地の地下には最終氷期以降の沖積層が埋める谷があり、武蔵野台地の地下にも、それより古い時代の谷を埋める堆積物が分布しています。
ここで大切なのは、「埋没谷=一律に危険」と読まないことです。埋没谷は地下地形の一つであり、実際の地盤特性は谷を埋める堆積物の種類・厚さ・締まり方、地下水位などによって異なります。
軟弱な泥層が厚く分布する場所では地震動への影響を考える必要があります。一方、液状化は主に地下水位や砂質地盤の状態など複数の条件に左右されます。さらに建物については、直接基礎なのか杭基礎なのか、どの地層で建物を支持しているのかを別に確認します。地形の話と、建物の安全性の話を一つにしない。これが埋没谷を見るときの基本です。
日本を代表するオフィス街、丸の内。ここは江戸のはじめまで日比谷入江という海でした。西の麹町台地(皇居側)と、東の江戸前島(日本橋から銀座へ延びる砂州)に挟まれた、南北に細長い入り江で、北からは平川という川が流れ込んでいました。
江戸期の造成によって現在の街の骨格がつくられましたが、地表が平らになっても、地下の地層まで一様になったわけではありません。丸の内・日比谷周辺では、かつての海や河川、埋立ての履歴を踏まえて地下断面を見る必要があります。
ただし、ここでも「昔は入江だった=現在の建物が危険」とはなりません。大規模建築では個別の地盤調査を行い、建物規模や地下構造に応じて基礎形式・支持地盤を設計します。街の地形史は建物を判断する入口であって、建物そのものの安全性を直接決めるものではありません。
隅田川より東側、江東・墨田・江戸川・足立などの下町一帯は「東京低地」と呼ばれます。ここは、埋没谷の最も分かりやすい舞台です。東京湾の中央には、古東京川と呼ばれる大きな埋没谷が眠っており、その筋は遠く浦賀水道まで追うことができます。最終氷期に刻まれたこの谷が、その後の海面上昇で厚い沖積層(有楽町層)に埋められ、今の低地になりました。
縄文海進の時期には海が低地の奥まで入り、その後、河川が運ぶ砂や泥などが堆積して現在の低地が形成されてきました。沖積層の厚さや構成は場所によって異なり、同じ東京低地の中でも地下の状態は一様ではありません。自然堤防、後背湿地、旧河道など、微地形の違いも重ねて見る必要があります。
また東京東部には、過去の地下水汲み上げによる地盤沈下の影響を受けた地域や、海面より低い土地があります。これは埋没谷そのものとは別の論点です。地震時の揺れ、液状化、洪水・高潮・内水氾濫は、それぞれ発生条件が違います。「低地」「埋没谷」という一語でまとめず、災害の種類ごとに確認することが大切です。
武蔵野台地も、地下まで一様ではありません。台地の表層には関東ローム層が分布しますが、関東ローム層そのものを「強い地盤」と一律に評価することはできません。さらに、その下の地層にも場所ごとの違いがあります。
産業技術総合研究所(産総研)の東京都区部3次元地質地盤図では、武蔵野台地の地下に、低地の沖積層に似た軟らかい泥層が谷を埋めるように分布することが示されています。代表的なものとして世田谷埋没谷や代々木―高輪埋没谷が知られています。
ここでも重要なのは、埋没谷の位置だけで評価を終えないことです。谷を埋める地層の厚さ・性質を確認し、住宅なら表層地盤や盛土・切土、擁壁、地盤調査・地盤改良の有無まで見る。マンションや大規模建築なら、さらに基礎形式と支持地盤を見る。台地か低地かではなく、その敷地の地下と、その建物がどう支えられているか。そこまで見て初めて個別の判断になります。
まず国土地理院の地形分類図などで、台地・谷底低地・自然堤防・後背湿地・旧河道といった地形を見る。次に産総研の3次元地質地盤図や公開ボーリングデータで、地下にどのような堆積物・地層が分布するかを見る。さらに自治体のハザードマップや防災科研J-SHISなどで、揺れ・液状化・浸水をそれぞれ確認します。
そして最後に、対象が建物なら基礎を確認します。戸建てなら地盤調査、地盤改良、盛土・切土、擁壁など。マンションなら基礎形式、杭の有無、支持地盤などです。
①地形 ②堆積物・地層 ③建物基礎。
この三つを分けてから重ねると、「埋没谷だから危険」「台地だから安全」という単純な判断から離れられます。
埋没谷がある。それだけで、その土地や建物を危険と決めることはできません。反対に、台地だから何も見なくてよいわけでもありません。
地形を見て、地下の堆積物を見て、最後に建物の基礎を見る。地盤は、一つの地図や一つの言葉ではなく、重ねて判断します。
一つの言葉で決めず、東京の地盤を全体から見ていきます。